事件から
読むお金

Rijksmuseum / CC0(Wikimedia Commons)
第1章の舞台、ネーデルラント連邦共和国の銀貨。事件そのものの実物は台帳に無い
まず一つの事件から — 1口1ドルが97セントになった日
2008年9月16日、アメリカのある投資信託で、1口1ドルを保つはずの値段が97セントに下がりました。差は3セントです。前の日には、投資銀行の Lehman Brothers が破産を申請していました。2008年の世界金融危機、日本では「リーマンショック」と呼ばれる出来事のさなかです。この3セントがなぜ大きな意味を持ったのかをたどると、1年以上前に始まっていた金融の危機と、アメリカの家のローンに行き着きます。
続きは第8章「世界金融危機 二〇〇七〜〇九」で読めます。事件のページ(1口1ドルが97セントになった日)からも、同じ話を最初から読めます。
型や仕組みの語を覚えなくても、どの章も一つの話として読めます。章の終わりの「三つで整理」で、何が起きたか、なぜ広がったか、暮らしにどう届いたかを確かめてください。
- 球根が、落札のたびに安くなった日(この本では第1章「チューリップ狂 一六三六〜三七」)
- 銀貨が、数週間で赤くなった年(この本では第2章「キッパー・ウント・ヴィッパー 一六一九〜二三」)
- 株を9,000リーヴルで支えた日(この本では第3章「ジョン・ローとミシシッピ体系」)
- 公定歩合が2.5% から3.0% になった週(この本では第4章「鉄道狂時代」)
- 3時間で800万ドルが引き出された日(この本では第5章「一九〇七年恐慌」)
- 日経平均が38,915円で一年を終えた日(この本では第6章「日本の資産バブル 一九八〇年代」)
- 口座番号は渡されていた(この本では第7章「マドフ事件」)
- 1口1ドルが97セントになった日(この本では第8章「世界金融危機 二〇〇七〜〇九」)
- 30サンチームの小冊子に書かれた、24時間(この本では第9章「ワーテルローの噂 一八一五/一八四六」)
- 古いお札が使える、最後の土曜日(この本では第10章「預金封鎖と新円切替 一九四六」)
- 「破綻した」と言われた銀行は、その時まだ開いていた(この本では第11章「昭和金融恐慌 一九二七」)
出来事は繰り返さない。それでも、時代を超えて何度も現れる問いと構造があるのは、なぜか。
この一冊を3分で
- どの章も、一つの事件を一つの話として最初から最後まで読めます。章の終わりには「何が起きた」「なぜ広がった」「暮らしにどう届いた」の三つの整理を置きました。
- 事件を「何が起きたか」「お金はどう動いたか」「何から分かるか」「よく聞く説明を確かめる」の四つの節で読みます。九つの見出しを毎回同じ形で並べることはしません。
- 数には時点・単位・分母を添えます。名目か実質か、額面か時価か。分母の無い数は使いません。
- 逸話は出どころを辿ります。崩落直後の風刺、後世の通俗書、教科書。どこで何が付け足されたかを、史料と突き合わせます。
- 事件どうしを比べたくなったときの語(六つの型・二十二の仕組み・十二の問い)と、比べるときの四段(似ている・違う・使える・限界)は、第1章の後の FRAMEWORK にまとめました。覚えなくても本文は読めます。「一九二九年は二〇〇八年と同じ」のような同一視は、この本では行いません。
- この版に収めた事件は11本。史料の地図が揃った事件から順に、章が増えます。
目次
- STARTまず一つの事件から
- 序章事件は繰り返さない。問いは戻ってくる
- 1チューリップ狂 一六三六〜三七
- FRAMEWORK位置づけの語 — 型・仕組み・問い・四段(比べたくなったときに)
- 2キッパー・ウント・ヴィッパー 一六一九〜二三
- 3ジョン・ローとミシシッピ体系
- 4鉄道狂時代
- 5一九〇七年恐慌
- 6日本の資産バブル 一九八〇年代
- 7マドフ事件
- 8世界金融危機 二〇〇七〜〇九
- 9ワーテルローの噂 一八一五/一八四六
- 10預金封鎖と新円切替 一九四六
- 11昭和金融恐慌 一九二七
- 終章同じ問いが、別の顔で戻ってくる
- 演習事件を、自分で確かめる
- 巻末SUMMARY / OBJECTS / PEOPLE / GLOSSARY / TIMELINE / DATA / QUESTIONS / DRILL / SOURCES
事件は繰り返さない。問いは戻ってくる
金融史の事件は、語り継がれるうちに形を変えます。崩落の翌週に刷られた風刺が、百年後に発明史の本へ写され、その本から十九世紀の通俗書へ、そこから二十世紀の教科書へ。一段写されるたびに、数字は丸くなり、登場人物は増え、教訓は短くなります。この本は、その逆をたどります。教科書から通俗書へ、通俗書から風刺へ、風刺から公証人の記録へ。
読み方は四つの節に分けました。何が起きたか(日付と場所と、確かめられる数)。お金はどう動いたか(何が売られ、誰が誰に払い、担保と決済はどうだったか)。何から分かるか(どの史料が残り、どの史料が残っていないか)。よく聞く説明を確かめる(逸話の出どころと、史料が支持する範囲)。事件によっては、今とのつながりと、比較の限界を添えます。
第1号『歴史の「本当?」を確かめる』の作法(何を信じ、何を疑うか)と、第15号『条文と帳簿を読む』の作法(史料室の一件を開いて問いと答えを置く)が、この本の下敷きです。事件のページ(事件から読むお金)は NOMISMA の画面で読め、史料は史料室から原本へ開けます。
チューリップ狂 一六三六〜三七
1636〜37年 ネーデルラント連邦共和国 熱狂・バブル
BIG QUESTION チューリップ・バブルは、どこまで本当か。
- 売られたのは球根と、球根が土中にある冬のあいだの先渡し契約。代金は5〜6月の引渡しまで動かなかった。
- 崩落は1637年2月3日の酒場から。2日後のアルクマール競売90,000グルデンは、崩落の後の記録的な数字だった。
- 「家一軒」「船乗りが食べた」「牛と豚と小麦」— 逸話の多くは1637年の風刺から1841年のマッケイへ写された。
何が起きたか
1630年代のホラント州で、チューリップの球根の値が数年のうちに何十倍にもなり、1637年2月の初めに買い手が消えました。取引の多くは、球根がまだ土の中にある冬のあいだに、酒場で結ばれた先渡しの契約でした。崩れたのは花の値段というより、その契約の山です。
花そのものの人気は、事件の40年前から続いていました。ライデンでは1590年にホーヘランデが庭で育て、1593年から植物学者クルシウスが同地で殖やします。1614年にはルーメル・フィッスヘルが「愚か者と金はすぐに別れる」という句を添えて、チューリップに散財する人々を風刺しました。年代記作者ワッセナールは1623年、センペル・アウグストゥス1球が1,000グルデンで売れ、10球に12,000グルデンの申し出が断られた、と記します。翌年は1球1,200グルデン、1625年には2,000と3,000の申し出を持ち主が断りました。この頃の買い手は、値段からして富裕な愛好家に限られます。
1633年、ホールンの年代記は取引が「狂乱」になったと書きました。1634年12月ごろから球根は重さで値付けされ、1アース(20分の1グラム)あたりの単価が品種ごとに決まります。公証人の記録では、ハウダという品種の1アースが1634年12月に30スタイフェル、1635年から1636年の冬に2グルデン2スタイフェル、1636年5月に3グルデン15スタイフェルでした。
1636年の秋から冬にかけて、各地の酒場に「コレヘ」と呼ばれる寄り合いができ、球根を持たない人々も紙の契約を売り買いするようになります。それまで見向きもされなかった普通の品種が、ポンド単位や1,000アース単位でまとめ売りされました。スウィツァーという普通品種1ポンドの値は、公証人の記録で1637年1月15日に120グルデン(言い値、断られた)、1月23日に385、2月1日に1,400、2月2日に1,500と動きます。
2月3日、火曜日。ハールレムの酒場で、1ポンドのクローネンかスウィツァーを引取金つきで売りに出した男が、1,250グルデン、1,100、1,000と値を下げながら3度落札されました。同じ日の出来事を目撃者が対話体のパンフレットに書き残しています。翌日、取引は止まり、「誰もが互いの顔を見た」と記されました。ところがその2日後の2月5日、アルクマールでは亡くなった射撃会館の館主の遺児のために競売が開かれ、約70球と1,000アース単位の27口が合計90,000グルデンで落札されます。この落札表は印刷され、投機を擁護する側と攻撃する側の両方が引用しました。2月9日、スウィツァー1ポンドは1,100グルデンに戻っています。
その後の処理は、花商人・都市・州のあいだを行き来しました。2月7日にユトレヒトの花商人36人が代表を選び、2月24日にアムステルダムで10都市の代表が公証人の前で取り決めます。1636年11月30日までの売買は履行し、それ以後の契約は買い手が代金の1割を払えば3月中に解約できる、という内容でした。アムステルダムの代表は署名せず、拘束力もありません。3月7日、ハールレム市は風刺の歌と文書の販売を禁じ、同じ日に前年10月の植え付け以降の取引をすべて無効にするよう勧告しました。諸都市の請願を受けた州議会はホラント州裁判所に諮り、裁判所は4月25日、情報が足りないとして市当局に当事者の和解を委ね、その間は売り手が催告のうえ買い手の危険負担で球根を保持または売却してよい、契約はすべて停止する、と答申します。州議会は4月27日にそのまま決議しました。
争いの多くは当事者同士で、代金の5分ないし1割で片づきました。それでも残った紛争のために、ハールレム市は1638年1月に5人の委員会を置き、5月28日にその裁定へ拘束力を与え、固定の解約金を契約価格の3.5% と定めます。売り手は球根を手元に残しました。これが、風の商いに関する最後の公文書です。
- 1623
- ワッセナールの年代記: Semper Augustus 1球が1,000グルデンで売れ、10球に12,000グルデンの申出が断られる
- 1625
- Semper Augustus の持ち主が1球2,000と3,000グルデンの申出を断る
- 1633
- ホールンの年代記が、球根の取引が「狂乱」になったと記す
- 1634
- 12月球根が重さ(aas)で値付けされるようになる
- 1636
- 11月酒場の集会(コレヘ)に普通品種の先物市場が生まれる Peter M. Garber 1990
- 1637
- 1月23日Switsers 1ポンド385グルデン(公証人記録)
- 2月2日Switsers 1ポンド1,500グルデン
- 2月3日火曜日、ハールレムの酒場で買い手が値を下げながら3度落札。翌日、取引が止まる
- 2月5日アルクマールの遺児のための競売で合計90,000グルデン
- 2月7日ユトレヒトの花商人36人が代表を選ぶ
- 2月24日アムステルダムで10都市の代表が協定(11月30日以降の契約は10% で解約可・拘束力なし)
- 3月7日ハールレム市が風刺文書を禁じ、前年10月以降の取引の無効化を勧告
- 3月17日崩落後も11,700グルデンの球根売買が公正証書で結ばれる
- 4月25日ホラント州裁判所が「市当局が当事者を和解させよ。契約は停止」と答申
- 4月27日ホラント州議会が答申どおり決議
- 5月1日ハールレム市が公証人の抗議書作成を禁じる(支払猶予)
- 1638
- 1月ハールレム市が5人の紛争委員会を置く
- 5月28日委員会の裁定に拘束力。固定解約金を契約価格の3.5% と定める
お金はどう動いたか
売られたのは球根です。ただし冬のあいだ球根は土の中にあり、掘り上げて渡せるのは5月か6月でした。代金の授受もその時です。したがって1636年の夏以降に紙の上で買い、紙の上で売った人は、2月に値が崩れても現金を失っていません。困ったのは、支払いを待つ側と、引き取りを約束したまま転売先を失った側でした。
高価な品種は1球ずつ、重さを申告して売られます。重さが値を決めるので、持っていない球根を売ることは難しい。しかし普通の品種はポンド単位、1,000アース単位で売られ、この形なら現物の裏付けなしに契約だけを回せます。同時代の花商人自身が、この「アースとポンド売り」をやめよと嘆いた文書が残っています。
酒場の集会には2つの売り方がありました。買いたい品種を板に書いて仲裁人2人が値を決める「板で」の方式と、売り手が数スタイフェルの景品を輪の中に置いて競りにかける「輪の中で」の方式です。どちらでも、買い手は1グルデンにつき半スタイフェル、上限3グルデンの「酒代」を払います。この酒代が集会の飲食に消えました。書記も仲裁人も、売り手が本当に球根を持っているかは確かめません。織工から花商人になった対話体パンフレットの登場人物は、4か月で60,000グルデンを儲けたと言い、受け取ったかと問われて「人々の手書きの証文だけ」と答えます。
銀行の貸出はこの市場に入っていません。代金の一部を牛や織物、銀の杯、馬車と馬で払う契約は公証人の記録にありますが、それは買い手が持っている物を売り手が欲しがった場合に限られます。アムステルダムの取引所も、東インド会社の株も、為替も、この事件では動いていません。
参加者を文書で数えたゴールドガーの調査では、300グルデン以上を球根に使った人物は37人です。300グルデンは親方職人の年収にあたります。最高値の球根は約5,000グルデンで、設備の整った家一軒分でした。買い手の連鎖は5人より長いものが見つからず、売り手は知り合いに売っています。クレラーヘは職業的な栽培者がごく少数だったこと、織工が目立ったことを記します。
値段の系列は乏しく、経済学者ガーバーは1637年2月5日を頂点として、その後の下落率を18世紀の高級球根の値下がりと比べました。1637年から1642年の年平均下落率は32%、18世紀の球根は28.5%。ガーバーはこの差から、崩落そのものの寄与は最大でも16% の下落だと論じます。これは一つの解釈で、球根の値が新品種の宿命として下がるという前提に立っています。
何から分かるか
同時代の史料は4つの群に分かれます。第一に公証人の記録。ポストフムスが1920年代に抜粋を刊行し、1634年から1637年の個々の契約と、崩落後の紛争処理が読めます。第二に1637年2月5日のアルクマール競売の印刷された落札表。第三に1637年2月から5月に出た3つの対話体パンフレット『ワールモントとハールフートの対話』と、風刺の歌と文書40篇余り。第四に市と州の公文書で、ハールレム市の3月7日の決議、州裁判所の4月25日の答申、州議会の4月27日の決議、1638年5月28日の委員会規程が該当します。
これらには偏りがあります。パンフレットの大半は投機を攻撃する側が出したもので、擁護する側の文書『フローラの舞台』は少数です。公証人の記録は争いになった契約に偏ります。センペル・アウグストゥスは取引記録にほとんど現れず、伝えられる高値の多くは申し出であって成約ではありません。連続した相場表は存在せず、値段は品種と重さごとに散在しています。
研究は3つの立場に分かれます。ガーバー(1990)は希少品種の高値を市場の実勢で説明し、バブルと呼ぶことに反対します。トンプソン(2007)は先物契約が事後にオプションへ変えられた「契約上の人為物」と見ます。ゴールドガー(2007、2018)は公証人記録と破産記録から参加者を数え、非合理な熱狂という像を退けつつ、値上がりの事実と、供給過剰への懸念から崩れた経緯を認めます。3者は同じ史料を読んで違う結論に達しており、どれが正しいかは決められません。
クレラーヘ(1942)は球根業者の側から書かれた最も詳しい通史で、品種、図帳、集会の仕組み、市と州の処理を一次資料に即して記します。本文の日付と金額の多くはこの書に拠ります。トンプソンの論文とゴールドガーの単行本は、書名と刊行の確認までで、本文はここに挙げた資料に含まれていません。
研究
通俗書
- Memoirs of Extraordinary Popular Delusions (vol. 1) よく聞く話の出どころとして挙げています。事実の説明には使っていません
バブルだったか
市場の実勢で説明可能。崩落の寄与は最大16%
Peter M. Garber 1990先物がオプションへ変わった契約上の人為物
Earl A. Thompson 2006非合理ではない。ただし価格は上がり、最初の5週間の持続不能が崩落を招いた
Anne Goldgar— The Conversation 2018崩落の原因
素人の参入と恐慌
Charles Mackay 1841供給過剰の懸念と値上がりの持続不能
Anne Goldgar— The Conversation 2018ペストの役割
宿命論的な無関心が賭けへ向かわせた
Ernst Heinrich Krelage 1942最大の値上がりは流行の減退期で、説と合わない
Anne Goldgar— The Conversation 20183½% は誰の裁定か
ハールレム市委員会が1638-05-28 に固定解約金として定めた。当事者間では5〜10% が多かった
Ernst Heinrich Krelage 1942契約をオプションへ転換した措置と解釈(本文は参照していない)
Earl A. Thompson 2006よく聞く話は本当か
チューリップ狂について語られる逸話の多くは、崩落直後の風刺から18世紀末のベックマン『発明の歴史』を経て、1841年のマッケイ『異常な大衆の妄想』に集められました。マッケイの章は20世紀の金融の教科書やウェブサイトに写され続けています。以下、その主なものを史料と突き合わせます。
「1球で家が買えた」。ゴールドガーが特定した最高値は約5,000グルデンで、設備の整った家一軒分に当たります。センペル・アウグストゥス1球が4,600グルデンと新しい馬車、馬2頭で売られた契約は公証人の記録にあり、マッケイもこれを伝えています。ただしそれは頂点の話で、300グルデン以上を使った人は37人です。
「船乗りが球根を鰊のつまみに食べた」。マッケイはブランヴィルの旅行記から引いていますが、球根を玉葱と間違えた話は1570年ごろのアントウェルペンの商人についてクルシウスが伝えた古い逸話で、1637年の出来事ではありません。
「小麦2ラスト、ライ麦4ラスト、牛4頭、豚8頭、羊12頭、ワイン2樽、ビール4樽、バター2樽、チーズ1,000ポンド、寝台、衣服、銀杯、合計2,500グルデン」。マッケイはムンティングを引いて、これがヴァイスロイ1球の代価として支払われたと書きます。しかしこの一覧は1636年のパンフレット『愚かさの明白な暴露』が「1輪の花の値段でこれだけ買える」と示した例で、成立した取引ではありません。後の語り手がヴァイスロイの取引に結びつけました。
「煙突掃除から貴族まで誰もが参加した」。1637年の風刺の歌には80ほどの職業が列挙されています。作者自身がそれを証明できたわけではない、とクレラーヘは注記します。マッケイの「船員、従僕、女中、煙突掃除、古着売り」はこの歌の系譜にあります。文書で確認できる大口の買い手は商人層と熟練職人で、多くは家族や宗派や近隣で結ばれていました。
「破産者が運河に身を投げた」。ゴールドガーは破産記録にチューリップ起因と特定できる破産者を見つけていません。損失の実例として文書に残るのは画家ヤン・ファン・ホイエンで、1637年1月27日と2月4日に約900グルデン分の球根と絵画2点の引き渡しを約束し、1641年になっても払い終えていませんでした。彼は家屋の投機も行っており、1656年に破産状態で没しています。
「オランダ経済は壊滅し、回復に長年を要した」。マッケイはそう結びます。しかし1637年3月17日には11,700グルデンの球根売買が3回払いで公正証書に結ばれており、球根は無価値になっていません。クレラーヘは回復の速さを記し、ガーバーは同時代の史書がこの時期を黄金時代として扱うと述べ、ゴールドガーはオランダ経済が影響を受けなかったと結論します。
「同じ球根が1日に10回転売された」。クレラーヘもこの言い回しを受け継いでいますが、出典を示していません。ゴールドガーは5人を超える連鎖を見つけていません。
そもそも同時代人は、この出来事を「風の商い」と呼び、崩落を「フローラの死」と歌いました。バブルという語で語るのは後世です。
「一個の球根で家が一軒買えた」
一部は事実出どころ: 1637年パンフレット → Mackay
「球根を食べてしまった船乗りがいた」
裏付けなし出どころ: 1570年ごろの古典的な逸話(Clusius)→ Mackay
Ernst Heinrich Krelage 1942 Anne Goldgar— The Conversation 2018
「同じ球根が一日に10回転売された」
争いあり出どころ: Krelage も記す通説
Ernst Heinrich Krelage 1942 Anne Goldgar— The Conversation 2018
「一球のために小麦・牛・豚・羊・ワイン・ベッド・銀杯(合計2,500グルデン)が支払われた」
裏付けなし出どころ: 1636年パンフレット『Clare ontdeckingh』の例示 → 後世が取引として転記 → Mackay
今とのつながり
この事件から今に残るのは、値段の記録より、物語の作られ方です。風刺として書かれた誇張が歴史として写され、教科書に載り、そのまま400年語り継がれました。史料に戻ると、参加者の数、損失の範囲、法の対応のどれもが伝承より小さく、また具体的です。
仕組みの面では、3つの点が現代の市場を読むときの手がかりになります。現物の裏付けを要しない契約の形(ポンド売り)、売り手の持ち分を誰も確かめない取引の場、そして支払いが引き渡しまで延びることで損失が帳簿上に留まった決済の遅れです。値段の高さそのものより、これらの構造がどこにあるかを見る方が、比べる相手を選ぶときに役立ちます。
比較の限界
チューリップ狂は「バブルの代名詞」として、あらゆる相場の高騰に引き合いに出されます。しかしこの事件と比べられるのは、物語がどう作られたかと、参加者の層を記録で数える方法に限られます。銀行も国家財政も決済網も関わっておらず、信用やレバレッジ(借入を使って、自分のお金より大きな資産を持つこと)の記録もほとんどありません。体系的な金融危機や、国家の負債と結びついた紙幣の実験と並べると、外形の似た点だけが先に立ちます。
1840年代の英国の鉄道株については、投資家名簿から「素朴な投資家」像を退けた研究があり、方法の上で本件と対になります。ジョン・ローの体系は同じ17世紀と18世紀の低地諸国とフランスで、契約や株が実体から離れて値を持った点で近く、国家の中枢で起きた点で遠い。いずれも似ている点と違う点を並べたうえで、同一視を避けて読む必要があります。
- 型
- 熱狂・バブル
- 仕組み
- 新しい物語・期待・価格→信用→価格のフィードバック・レバレッジ・情報の不透明性
- 問い
- 何が価格を押し上げたのか。/何が確認できなかったのか。/過去との比較はどこまで成立するか。
NOMISMA の画面で読む: /rekishi/jiken/tulipmania-1636
ここまでの要点
- 契約の多くは紙の上で、損失も帳簿の上に留まった。300グルデン超を使った人は37人。
- 市と州の処理は、無効化の勧告 → 契約の停止 → 当事者間の清算(5〜10%)→ 固定解約金3.5%(1638年5月)の順で進んだ。
- 崩落後も球根は無価値にならず(1637年3月17日に11,700グルデンの売買)、全般的な金融崩壊は起きていない。
- バブルだったかは研究者間で分かれる。ガーバー・トンプソン・ゴールドガーは同じ史料から違う結論に達している。
三つで整理
- 何が起きた
- 1637年2月、酒場で結ばれたチューリップの球根の先渡し契約の値が崩れ、取引そのものが止まった。
- なぜ広がった
- 代金は春の引渡しまで動かず、紙の上の約束だけが酒場で積み上がっていた。
- 暮らしにどう届いた
- 国の経済は崩れず、損失は主に帳簿の上に留まった。300グルデン超を使った人は、文書で37人。
同じ仕組みで、次に読む一話: 第3章「ジョン・ローとミシシッピ体系」 — どちらの事件でも「新しい物語・期待・価格→信用→価格のフィードバック・レバレッジ」が働いた。
位置づけの語 — 型・仕組み・問い・四段
事件を読み比べたくなったときのための語を、四枚の図にまとめました。本文を読むのに、覚える必要はありません。
事件を並べるための語は三つの層です。型は六つ。仕組みは二十二。問いは十二。型は「どの種類の事件か」、仕組みは「お金と信用がどう動いたか」、問いは「この事件が答える問いは何か」を指します。事件を一つ読んだら、この三つの層で位置を確かめ、隣の事件と何が同じで何が違うかを、四段で書いてみてください。語は NOMISMA の事件の語彙として一か所で決め、増やすときはそこを先に直します。
ここまでの要点
- 型は「どの種類の事件か」、仕組みは「お金と信用がどう動いたか」、問いは「この事件が答える問いは何か」。
- 比べるときは四段。限界の行が書けない比較は、内部にも置かない。
無料で試し読みできる範囲はここまでです
この先の「キッパー・ウント・ヴィッパー 一六一九〜二三」「ジョン・ローとミシシッピ体系」「鉄道狂時代」「一九〇七年恐慌」「日本の資産バブル 一九八〇年代」「マドフ事件」「世界金融危機 二〇〇七〜〇九」「ワーテルローの噂 一八一五/一八四六」「預金封鎖と新円切替 一九四六」「昭和金融恐慌 一九二七」「同じ問いが、別の顔で戻ってくる」「事件を、自分で確かめる」は、購入された方向けです(本の終わりの資料も同じです)。
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