辞典と参考文献
Memoirs of Extraordinary Popular Delusions (vol. 1)
Charles Mackay — Internet Archive のスキャン

この資料が支える主張
- 1634年に「最下層まで」がチューリップ取引に加わり、1635年には40球に10万フローリンを投じた者がいた、と述べる(pp.141–142)
- 重さ(perit)売りの価格例: Admiral Liefken 400 perits 4,400フローリン、Semper Augustus 200 perits 5,500フローリン。1636年初めに Semper Augustus は全ホラントに2球しか無く、ハールレムの1球に12エーカーの宅地が申し出られ、アムステルダムの1球は4,600フローリンと新しい馬車・灰色の馬2頭・馬具で買われた(p.142)
- Munting が伝えたとして、Viceroy 1球に対して小麦2 last・ライ麦4 last・牛4頭…合計2,500フローリンの品目一覧を掲げる(pp.142–143)
- Blainville の旅行記から、船乗りが Semper Augustus(3,000フローリン)を玉葱と思って鰊とともに食べた話を語る(pp.143–145)
- 貴族・市民・農民・職人・船員・従僕・女中、煙突掃除や古着売りまでがチューリップに手を出し、家や土地が安値で売られたと述べる(pp.146–147)
- 契約の10% での和解、ハーグの州評議会が3か月審議しても結論を出さず、売り手が現物を提示して拒まれれば競売にかけ差額を請求せよと勧めたこと、裁判所が賭博の債務として受理しなかったことを記す(pp.150–151)
- 「国の商業は深刻な打撃を受け、回復に長年を要した」と結ぶ(p.151)
- ローについて「悪党でも狂人でもなく、欺いたより欺かれた」と評し、崩壊の責めを「国民全体の貪欲な熱狂」に帰す(pp.4–5)
- 1716年5月5日の勅令で銀行が許され、資本は600万リーヴルで500リーヴルの株1万2,000口とする(p.19。原本の特許状は5月2日付、Velde は5,000リーヴル × 1,200口)。支店はリヨン・ラロシェル・トゥール・アミアン・オルレアン(p.20)
- 1717年8月の特許状で会社が設立され、資本は500リーヴルの株20万口、全額を billets d'État の額面で払い込めたが市場では160リーヴルの値しか無かった(p.21)
- カンカンポワ街の逸話: 靴直しが場所貸しで日に200リーヴルを得た、せむし男が背中を書き物台に貸して稼いだ(p.27)。ローの御者が馬車を持てるほど儲けて暇を取り、料理女中や従僕も時に同じ幸運に恵まれた(p.34)。貴婦人が馬車を転覆させてローに会った(p.31)
- 1720年2月の勅令で500リーヴルを超える正貨の保有が禁じられ、密告が奨励された(pp.49–50)。5月初めの会議で流通する券は26億リーヴルと算定され、国内の正貨はその半分に満たなかった。5月21日の勅令で株と券を一年かけて半値に下げると定め、7日以内に撤回された(pp.54–55)
- 銀行の群衆で日に一人は圧死し、7月9日に兵が発砲して1人死亡、8日後に15人が圧死して遺体が摂政のもとへ運ばれ、ローの馬車が壊された(pp.57–59)
- ローは12月にブリュッセルへ出国し、財産は不動産に投じてあったため「ほとんど乞食同然」だった。1721年1月1日の国債は31億リーヴル超、ヴィザは利払を5,600万に減らすよう勧めた(pp.67–70)
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