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溶かされた玉座と、戦争の財布

千六百八十九年、ルイ十四世は、ヴェルサイユ宮殿を飾っていた銀の家具を溶かして戦費に充てました。銀の板と彫刻で覆われた王の玉座さえ、その中にありました。

3分でわかる 溶かされた銀の玉座

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  3. あなたならどうする?
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横に送って見られます

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ヴェルサイユ

宮殿の広間は、純銀の家具で飾られていた

200点

におよぶ純銀の家具

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1689年

戦争のお金のため、王は銀の家具も玉座も溶かした

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それでも

溶かしても、戦費は足りなかった

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治世のあいだ

お金を集め、中身を減らして打ち直し、差で稼いだ

6年で5回

財務総監シャミヤールの時期の切り下げ

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1720年まで

お金の単位リーヴルの金の重みが、大きく減った

8割

1683年からの減り方

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1701年〜

紙の切符が刷られたが、額面どおりには使えなかった

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スペイン継承戦争

最後に穴を埋めたのは、民間の金融家だった

2億リーヴル

およそ。ベルナールが国に用立てた額

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1708年

王みずから庭を案内し、銀行家からお金を引き出した

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8割

1683年から1720年までに、リーヴルが失った金の重み

2億リーヴル

戦争のあいだに、1人の金融家が国に用立てたと伝わる額(およそ)

3あなたならどうする?

あなたは王の財務の長。戦争のお金が尽きました。銀の家具はもう溶かしました。次はどうしますか?

選んでみてください

お金を打ち直して、差で稼ぐ

実際に何度も行われました。打てば国の金庫は潤いますが、打つほどにお金の信用はやせていきました。

紙の切符で払う

これも行われました。でも受け取った人は額面どおりに使えず、値引きして回すしかありませんでした。

お金持ちの銀行家に頼む

最後に穴を埋めたのはこれでした。財務総監デマレは銀行家ベルナールを王に引き合わせ、王みずから庭を案内するもてなしで、資金を引き出しました。

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2026-10-10 葉山 満 お金の話
フランス 太陽王の金が溶ける/ヴェルサイユと戦場

溶かされた輝き

ヴェルサイユの大広間と鏡の間は、かつて二百点におよぶ純銀の家具で飾られていました。銀の燭台、銀のオレンジの鉢。手がけたのは、宮廷の金銀細工師クロード・バランです。

ところが千六百八十九年、九年戦争の戦費のため、王はこの銀の家具をことごとく造幣所へ送ります。アポロンの間の玉座も溶かされました。高さ二・六メートルの大きな木の肘掛け椅子を、銀の板と彫刻で覆った玉座です。そのあとには、金めっきの椅子が置かれました。権威を見せるために作らせた輝きを、王は自らの手で鋳潰したのです。

けれど、それで戦費が賄えたわけではありません。溶けて消えた実物の代わりに残ったのは、バランが描いた下絵だけでした。

打ち直される貨幣

銀の家具を溶かすのは、一度きりの手です。けれど、貨幣そのものを溶かして打ち直す改鋳は、治世を通じた常の手でした。

手口は二段構えです。ひとつは、布告によって貨幣の額面をつり上げること。もうひとつは、古い貨幣を回収し、金属をわずかに減らして打ち直すことで、差益を国庫に入れることでした。財務総監シャミヤールの時期には、貨幣は六年で五回も切り下げられました。額面の上げ下げとは別に、古い貨幣を残らず呼び戻す全面の打ち直しは、千六百八十九年から治世の終わりまでに、五度を数えました。

千六百八十三年から、ローの泡が弾けた千七百二十年までに、リーヴルの金の重みは、八割も失われました。貨幣を打てば国庫は潤い、打つほどに信用は痩せていったのです。

額面を割った紙

改鋳のたび、古い貨幣を造幣所に納めても、新しい貨幣はすぐには受け取れません。代わりに渡されたのが、後で引き換えるという紙の受領証、貨幣切符です。

千七百一年から、この紙は戦時の借り入れとして大量に刷られ、兵の賃金や商人への支払いにも回されました。けれど、受け取った側は額面どおりには使えず、値引きして流通させるしかありませんでした。国家が刷った紙が値を失う経験を、人々はローの泡が弾ける十五年以上も前に味わっていたのです。

王が案内した庭

改鋳でも、溶かした銀でも足りない戦費を、最後に埋めたのは民間の金融家でした。その頂点が、サミュエル・ベルナールです。スペイン継承戦争のあいだ、国家におよそ二億リーヴルを用立てたと伝わります。

千七百八年、戦費が尽きたとき、財務総監デマレは一計を案じます。離宮マルリを歩く王に、ベルナールを引き合わせたのです。王みずから庭を案内するという破格のもてなしに銀行家は応え、デマレは必要な資金を引き出しました。

皮肉なことに、ベルナールはプロテスタントの家に生まれた人でした。王は千六百八十五年にナントの勅令を廃してプロテスタントの権利を奪い、竜騎兵の強いる改宗を逃れようと、十数万から二十万の熟練の職人や金融の担い手が国を去っていました。ベルナールはこのとき、カトリックへ改宗して国に残りました。その信仰を国から締め出した王が、かつての信徒の一人に、戦争の財布を握られていたのです。

痩せていく民を見かねて、築城の名手ヴォーバンは千七百七年、一冊の本を著しました。雑多な税を廃し、貴族も聖職者も含む万人に、収入の十分の一を等しく課すという案です。けれど顧問会議はこれを発禁とし、刷った本は断裁されました。ヴォーバンは、その直後に世を去ります。

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