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電話一回分という値打ち

一九七〇年代のイタリア。市中から小銭が消え、公衆電話用のトークンが釣り銭として通いはじめました。

3分でわかる 電話1回分という値打ち

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  3. あなたならどうする?
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横に送って見られます

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1970年代のイタリア

物価と賃金が押し上げ合い、値上がりが続いた

年率20パーセント前後

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そのころ

町から小額の硬貨が消え、国の小銭が足りなくなった

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そのころ

店のおつりに、飴玉や小さな紙が混じりはじめた

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1975年〜78年ごろ

銀行が小さな額の小切手を刷り、おつり代わりに回した

数十リラ、数百リラの紙

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そのころ

公衆電話用のトークンも、おつりとして使われた

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なぜ

電話1回分という、誰もが知る値打ちがあったから

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国が決めていなくても

皆が受け取ると信じたから、お金として通った

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ただし

電話会社が値打ちを一定に保っていたから通った

2数字で見る

20パーセント前後

1970年代のイタリアの、1年あたりの値上がり

3あなたならどうする?

1970年代のイタリアのカフェ。コーヒーのおつりに、公衆電話のトークンを渡されました。受け取りますか?

選んでみてください

受け取る。電話1回分に使えるから

当時の人々もそうしました。法で決めたお金ではなくても、皆が受け取ると信じたから、おつりとして通ったのです。

断る。国のお金ではないから

国の小銭は足りませんでした。でもトークンが通ったのは、電話会社という出し手が、値打ちを一定に保っていたからです。

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2026-07-26 葉山 満 お金の話
イタリア 小銭が消えた/公衆電話の前

一九七〇年代のイタリアで、店の釣り銭に硬貨でないものが混じるようになりました。飴玉。銀行の小さな小切手。そして、公衆電話用のトークンです。

小銭が消えた

背景にはインフレがあります。石油危機と、賃上げの波の後、物価と賃金が互いを押し上げる状態が続きました。研究は、年率二十パーセント前後という水準を挙げます。

賃金を物価に連動させる仕組み——スカラ・モビレが、この状態を固定する側に働いたとされます。ただし因果には論争があり、確定していません。

確かなのは、市中から小額の硬貨が退いたことです。国が発行する小銭が、足りなくなりました。

銀行が刷った紙

穴を埋めたのは、まず銀行でした。数十リラ、数百リラの少額小切手——ミニアッセーニを刷り、市中で釣り銭代わりに回したのです。一九七五年から七八年ごろのことでした。

事実上の私製紙幣です。人々は銀行の名前が刷られた小さな紙で、コーヒーの釣りを受け取りました。

電話のコイン

もう一つが、ゲットーネです。公衆電話に入れるための、溝のついた真鍮のトークンでした。

これが釣り銭として通用しました。理由は単純です。電話一回分という、誰もが知る値打ちがあったからです。

国が定めたわけではありません。法定通貨でもありません。それでも通いました。皆が受け取ると信じたからです。

貨幣の定義が試された場所

ここで起きたことは、貨幣の定義に触れています。

貨幣とは、皆が受け取ると信じる物のことだ——ゲットーネは、その定義を日常で証明しました。国家の小銭が痩せた場所を、電話のコインが埋めたのです。

ただし、これは国家の役割が要らないという話ではありません。ゲットーネが通ったのは、電話会社という発行者が値打ちを一定に保っていたからです。誰も値打ちを請け合わない物は、釣り銭になりません。

代わりが立つのは、代わりになる資格を持つ物だけです。一九七〇年代のイタリアは、そのことを数年にわたって見せました。

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