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数と資料の出どころ

ジョン・ローとミシシッピ体系

ジョン・ローとミシシッピ体系 / 1716〜1720年 / フランス(パリ) / 複合(複数の型が本質的に混在)

数と資料の出どころ

図と本文の数が、どの資料のどこから来ているかの一覧です。見出しを押すと開きます。

詳しく読む数値台帳(15件)
500 → 1,000 → 3,600 → 5,350 → 約10,000 → 9,000(固定)→ 4,200 → 4,500 → 2,000 → 1,000 → 500リーヴル・トゥルノワ/株Compagnie 株価1719-05-10 → 07中旬 → 08-26 → 09-09 → 頂点 → 1720-03-05 → 06-12 → 07-15〜17 → 09 → 12 → 1721-09・分母 額面500・時価 頂点の時期: Garber 1719年10月/Velde 1720年1月François R. Velde 2003 pp.18, 29, 40, 44・図4(4,200・4,500は Buvat pp.99, 108、2,000・1,000・500は Garber p.46)
7億6,900万 → 10億6,970万 → 12億6,150万 → 20億5,400万 → 22億3,510万 → 23億5,900万 → 20億170万リーヴルBanque Royale 券の発行残高1719-12-31 → 1720-02-29 → 03-31 → 04-30 → 05-31 → 06-30 → 09-30・額面(焼却分を除く) Dutot T.II pp.363–365の月末の券は2〜5月で一致。印刷総額は28億2,230万(表7)François R. Velde 2003 表4 p.25
7億6,900万 → 7億9,052万 → 10億6,972万7,990 → 12億6,153万150 → 20億5,400万4,870 → 22億3,508万3,590 → 23億8,006万7,660 → 21億274万5,470 → 20億1,780万8,880 → 20億2,276万2,610リーヴル券の月末残高(同時代の表)1719-12 → 1720-01 → 02 → 03 → 04 → 05 → 06 → 07 → 08 → 09・額面 会社の出納係だった著者の表。OCR で読み、Velde 表4と突き合わせたNicolas Dutot— Google Books のスキャン1738 T.II pp.363–365
116.1 → 203.7 → 164.2指数パリの物価指数1719-07 → 1720-09 → 1720-12・名目 原典は参照していない。Velde 図9も同じ系列Peter M. Garber 1990 p.45(Hamilton 1936)
12億 → 16億(3%)リーヴル公債借換の額面1719-08-27 → 09-17・10-10・分母1715年の負債28億・額面 8月31日に償還を命じた分は14億9,984万。Garber は15億François R. Velde 2003 pp.19–20・表3
600万=5,000 × 1,200株リーヴルBanque Générale の資本1716・額面 教材の値と一致。大半は billets d'État で払込、当初の現金は1株690。原本の資本条項は参照していないFrançois R. Velde 2003 p.10
1億=500 × 20万株リーヴルCompagnie d'Occident の資本1717〜1718-12-31・額面 教材の値と一致。billets d'État の額面払込。4割は王の保有François R. Velde 2003 p.17
2〜5倍倍株価の過大評価1720頂点・分母 著者の基礎価値推計(収益7,550万 × 倍率15 = 1株1,875)・時価/推計François R. Velde 2003 pp.2, 47–48
9,000リーヴル/株1720-03-05 の固定価格1720-03-05・額面 第5条で3月20日から株と券の相互転換Conseil d'État du Roi— BnF Gallica 1720 第2条(f4)
8,000 → 7,500 → 7,000 → 6,500 → 6,000 → 5,500 → 5,000リーヴル/株1720-05-21 の減額の日程(株)公布日 → 07-01 → 08-01 → 09-01 → 10-01 → 11-01 → 12-01・分母 固定価格9,000・額面 券は1万リーヴル券を8,000 → 5,000に同じ比率で(第2条)。5月27日に撤回Barthélemy Marmont du Hautchamp— Google Books のスキャン1739 Pièce LXXXI 第1条 pp.98
3億・3億9,000万・4億3,800万・3億6,200万リーヴル釘付け期間の券の増発1720-03-25・04-05・04-19・05-01・額面 Velde: 3〜5月に12億1,350万で自社株の27% を買戻し(Hautchamp 1:121 経由)Peter M. Garber 1990 p.45
約12億リーヴル正貨総額の同時代推計1720-02-27(勅令の記述)・銀1マール60リーヴル Garber は Harsin 1928経由で同じ12億François R. Velde 2003 注28 p.24
22億1,120万 → 17億(年金4,700万)リーヴルヴィザの提出額と再建額1721-01 → 1724-01・分母 券の印刷総額28億2,230万・額面 500リーヴル以下は減額なし(人数の半分・金額の4割)。残りは平均39% 減François R. Velde 2003 pp.36–37・表7
4 → 5 → 数人 → 12〜15人圧死者1720-06-03 → 07-05 → 07-12〜13 → 07-17・同時代の日記 Mackay は7月17日に15人Jean Buvat— Internet Archive のスキャン1720 pp.97, 105–110
元本25億4,140万・利払8,670万リーヴル1724年の負債1724-10・分母1717年6月: 23億2,170万・9,370万・額面 体系の間の増加は約1億5,000万(p.39)François R. Velde 2003 表2 p.8
詳しく読む図の数の出どころ
図何の数値時点・期間資料とその箇所
図1数を使わない図———
図2王立銀行の券の発行残高38.01719-04-30François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高159.91719-07-31François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高380.61719-08-31François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高769.01719-12-31François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高1069.71720-02-29François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高1261.51720-03-31François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高2054.01720-04-30François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高2235.11720-05-31François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高2359.01720-06-30François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高2001.71720-09-30François R. Velde 2003 表4 p.25
図2王立銀行の券の発行残高2069.11721-01-08François R. Velde 2003 表4 p.25
図3500リーヴルを超える金貨・銀貨の保有を禁止—1720-02-27François R. Velde 2003
図3株を9,000リーヴルに固定し、株と券を固定の値で交換すると決定—1720-03-05Conseil d'État du Roi— BnF Gallica 1720
図3株と券の値を月ごとに下げる決定—1720-05-21Barthélemy Marmont du Hautchamp— Google Books のスキャン1739
図3減額の決定を撤回—1720-05-27Barthélemy Marmont du Hautchamp— Google Books のスキャン1739
図3金貨・銀貨を持つ自由が戻る—1720-06-01Barthélemy Marmont du Hautchamp— Google Books のスキャン1739
図3銀行の窓口の群衆で4人が圧死—1720-06-03Jean Buvat— Internet Archive のスキャン1720
図312〜15人が圧死。券の支払いを停止—1720-07-17Jean Buvat— Internet Archive のスキャン1720
図4パリの商品物価指数(ハミルトン1936)116.11719-07Peter M. Garber 1990 p.45
図4パリの商品物価指数(ハミルトン1936)203.71720-09Peter M. Garber 1990 p.45
図4パリの商品物価指数(ハミルトン1936)164.21720-12Peter M. Garber 1990 p.45
図5500リーヴルを超える金貨・銀貨の保有を禁止—1720年2月27日—
図5株を9,000リーヴルに固定し、券と交換する窓口を開く—1720年3月5日—
図5減額の決定。27日に撤回—1720年5月21日—
図5ヴィザ。紙は元本17億リーヴルの国債に—1721年〜1724年—
詳しく読む何から分かるか

史料は4つの群に分かれます。第一に公文書。1716年5月2日の特許状、1717年8月の勅令、1718年12月4日の宣言、1720年3月5日と6月2日の国務会議決定は、フランス国立図書館の画像で表題・前文・条文の一部を読みました。5月21日の減額令と27日の撤回の本文は、1739年にハーグで刊行されたデュ・オーシャンの『財政体系史』に翻刻されたものを読んでいます。第二に同時代の記録。王立図書館の筆耕ビュヴァの日記は1720年5月から7月の毎日を伝え、会社の出納係だったデュトの1738年の書は券の月末残高の表を載せています。第三に研究。ガーバー(1990)の概説とヴェルド(2003)の全文を読み、ヴェルド(2007)・マーフィ(1997)・ハミルトン(1936)は書誌の確認に留まります。第四に通俗書。マッケイ(1841)は伝説の出どころとして読みました。

これらには偏りと欠落があります。体系の帳簿は1727年に、ヴィザの帳簿は1722年に公開で焼かれ、数の多くは1730年代の論争(デュト対パリ=デュヴェルネ)から来ています。デュトは体系を擁護する側の人です。ビュヴァは噂も書き、自分で「と言われていた」と断っています。株価の日次系列は1719年8月以降だけで、それ以前は散発です。ヴェルドが証券の一覧と価格を載せた付録は別冊で、ここに挙げた資料には含まれていません。ハミルトンの物価指数はパリの病院の購入記録に基づきます。

研究の立場は分かれます。ガーバーは、値上がりが体系の実現の段階を追い、下落が株の貨幣化とロー自身のデフレ策で説明できるとして、現代の意味でのバブルと呼ぶことに反対します。ヴェルドは、株価が頂点で2倍から5倍過大評価されていたと計算したうえで、それをローの価格支持策に帰し、負債が元の水準に再建された以上、債務不履行と呼ぶなら5から10% で、詐欺でもないと結論します。フォールは1720年7月17日の支払停止を「ローの破産」の日とし、マリオンは「もう一つの債務不履行」と書きました。この二人の見方は、ヴェルドが引く範囲で読んでいます。頂点の時期も、ガーバーの1719年10月とヴェルドの1720年1月で違います。研究によって見方が違い、どれが正しいかは決められません。

ローの理論は1705年の『貨幣と交易』で読めます。「国内の交易は貨幣に依存する。より多くの量はより多くの人を働かせる」。提案は、議会が任命し議会に責任を負う委員会が、土地を担保に紙幣を出すというものでした。ヴェルドが指摘するとおり、1715年以降ローは書いておらず、公債の株式化の理屈は1715年以前の著作にありません。なぜ9,000という高い値に釘付けたのかは、誤算か、初期の内部者の利益か、いまも開いた問いです。

何から分かるか — 資料の種類

バブルか、貨幣実験の失敗か

Mackay 1841

国民全体の貪欲な熱狂。ロー自身は「欺いたより欺かれた」

Charles Mackay 1841
Garber 1990

ファンダメンタルズで説明可能。現代の意味のバブルではない

Peter M. Garber 1990
Velde 2003

価格支持策による2〜5倍の過大評価。市場価格は1719年末以降ローの政策そのもの

François R. Velde 2003

崩壊の主因

教材

兌換できる金属を超えて刷った

Garber

株の貨幣化(3月5日の釘付け)と、ロー自身のデフレ策(5月21日)

Peter M. Garber 1990
Velde

価格支持が券の増発を招き、正貨の禁止でも為替の下落を止められず、5月に後退した時に秩序ある退却は不可能だった

François R. Velde 2003

1719年8月27日の計画は債券か株か

Faure 1977(Velde 経由)

8月の計画は債券で、9月の株式発行は「狂った計画」への転換

François R. Velde 2003
Murphy 1997(Velde 経由)

最初から株。語の不正確さにすぎない

François R. Velde 2003

株価の頂点の時期

Garber 1990

1719年10月に10,000

Peter M. Garber 1990
Velde 2003

1720年1月に頂点10,000。1月末には下落が始まる

François R. Velde 2003

債務不履行だったか

Marion 1914(Velde 経由)

もう一つの債務不履行

François R. Velde 2003
Velde 2003

1724年の負債は1717年と大きく変わらず、不履行と呼ぶなら5〜10%

François R. Velde 2003
詳しく読む参考文献(14件)

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