SOURCE ROOM
Government Equity and Money: John Law's System in 1720 France
François R. Velde — Federal Reserve Bank of Chicago, Working Paper 2003-31
この資料が支える主張
- ローの体系(1716〜1720)は、既存の公債を政府株式のようなものへ転換することと、商品貨幣を不換紙幣に置き換えることの二本柱だった(要旨)
- ローは戦略上の理由から株式を高すぎる水準で支えたため、貨幣創造が制御を失った。体系は公債をほぼ元と同じ水準で再建して終わった(要旨)
- 著者の推計では株価は頂点で 2〜5 倍過大評価されていたが、それはローの体系的な価格支持策に帰せられる。公債は体系の間に大きく増えず、後継者が元の水準に戻した(p.2)
- 1715 年のルイ 14 世の死の時、負債は 28 億リーヴル(永久年金 10 億 6,800 万・官職 8 億 3,000 万・浮動債 9 億 2,000 万)、利払は年金 4,500 万と官職 4,150 万で、歳入 1 億 6,600 万・支出 7,100 万の基礎収支 4,800 万を超えていた(p.7・表 2)
- 1716 年 5 月の一般銀行は 1,200 株 × 5,000 リーヴルで、大半は市場で 6 割引きの billets d'État により払い込まれ、当初の現金は 1 株 690 リーヴルで足りた。券は特定の銀貨(エキュ)建てで、1716 年 10 月 7 日の決定で徴税官が券を現金に換え、1717 年 4 月 10 日に税の支払いで法貨となり、1718 年 6 月 1 日の決定で旧エキュ建ての券は 1 エキュ 6 リーヴルで受け入れられた(pp.10–12)
- 1718 年 12 月 4 日の宣言で王は株主を額面 5,000 で買い取り王立銀行とした。当時の発行残高は 3,950 万。支店はパリ・リヨン・ラロシェル・トゥール・オルレアン・アミアン(pp.12–13, 23 注 26)
- 1717 年 8 月の西方会社はルイジアナを永代の封として受け、25 年の商業独占とカナダの海狸皮を得た。IPO は 500 リーヴル × 20 万株、billets d'État の額面払込。応募は 1718 年 12 月 31 日に 1 億で締まり、4 割は王の保有。1718 年 12 月までに船 12 隻を持っていた(pp.13–15, 17)
- 吸収: 1718-08-01 タバコ専売(年 402 万)・1718-12-04 セネガル会社・1719-05 東インド・中国会社・1719-07 アフリカ会社・1719-07-25 造幣(9 年で 5,000 万)・1719-08-27 総徴税請負(年 5,200 万・特権 50 年)・1719 年 8 月末 直接税の徴収・1720-02 王立銀行の吸収(pp.15–16)
- 株式の発行: 1717〜18 IPO 20 万株 × 500・1719-06 5 万株 × 550・1719-07 5 万株 × 1,000・1719-09〜10 30 万株 × 5,000(分割払)。払込証は失権条項のため株のオプションだった。株価は 1718 年に 180〜290、1719-05-10 に 500、06-17 に 650、7 月中旬に 1,000、08-26 に 3,600、09-09 に 5,350、1720 年 1 月に頂点 10,000(pp.17–18, 20, 44・図 4)
- 1719-08-27 の決定で会社は王に 12 億(9-17・10-10 に 16 億)を 3% で貸し、王は年金・官職・caisse commune の券・billets d'État を強制償還した(8-31 命令分 14 億 9,984 万、1720 年 7 月までの合計 19 億 7,712 万)。会社は結局 3% 債を出さず株で資金を集めた(pp.19–21・表 3・注 23: 8 月の計画が債券か株かは Faure と Murphy で分かれ、著者は Faure 側)
- 正貨の制限: 1719-12-21 銀 10・金 300 リーヴル超の支払い禁止・1720-01-28 券が全国で法貨・02-27 500 リーヴル超の正貨保有禁止・03-11 金銀の廃貨を予告・04-01 金銀条項の無効。同時代の正貨推計は約 12 億(pp.23–24・注 28)
- 表 4: 券の発行残高(焼却分を除く、百万リーヴル)1719-04-30 38.0・05-31 109.9・07-31 159.9・08-31 380.6・09-30 500.6・11-30 620.6・12-31 769.0・1720-01-30 810.1・02-29 1,069.7・03-05 1,089.9・03-31 1,261.5・04-30 2,054.0・05-22 2,116.5・05-31 2,235.1・06-30 2,359.0・07-31 2,081.7・08-31 2,006.8・09-30 2,001.7・10-10 2,038.4・10-31 2,069.0・11-27 2,069.1・1721-01-08 2,069.1(p.25)
- 会社は 1719-10 から 5,000 で自社株を買い、12 月末に毎日値を掲げる窓口を開いて 8 億(資本の 16%)を買った。1720-02-22 に銀行が会社に合併され支持が止まると 9,925 から 03-01 に 8,500 へ落ち、03-05 に 9,000 で固定の窓口を再開、3〜5 月に 12 億 1,350 万で自社株の 27% を買い戻した(pp.29–30)
- 1720-05-21 の決定はロー自身が前文を書き、株を 9,000 から 5,000 へ、券を額面の半分へ月ごとに下げる日程を定めた。05-27 に撤回、05-28 にロー罷免・軟禁、数日後に復帰(p.30)
- 6〜11 月: 年金 10 億(2.5%)・銀行口座(7-13、最終 2 億 3,900 万)・株の払込で券を回収。銀行の兌換は 07-09 に小額で再開し 07-17 の混乱で無期停止。08-15 に廃貨の日程、10-10 に 11-01 へ前倒し(残高 11 億 6,900 万)。ローは 12 月初めに出国(pp.31–35)
- ヴィザ(1721〜22): 提出 22 億 1,120 万 → 元本 17 億・年金 4,700 万(1724-01 まで)。500 リーヴル以下の請求は減額なし(人数の半分・金額の 4 割)、残りは平均 39% 減。証書の市価は 1722 年に額面の約 25%。200 人への課税 1 億 9,000 万。株 12 万 5,000 → 5 万 5,735(pp.35–38・表 7)
- 1724 年の負債は元本 25 億 4,140 万・利払 8,670 万で、1717 年(23 億 2,170 万・9,370 万)と大きく変わらない。体系の間の増加は約 1 億 5,000 万と見積もられ、債務不履行と呼ぶなら 5〜10%(表 2・p.50)
- ハミルトンの物価指数は 1720 年 1 月に一月で 25% 上がり、1 月から 8 月の頂点まではさらに 19%。同じ期間に券は 2.6 倍。為替は 1720 年 1 月末に平価を割り、3 月(25%)・4 月(11%)・7 月(44%)の正貨切下げは紙のリーヴルの下落を後追いした(pp.26–27)
- 銀の法定価格(mint equivalent)は 1689〜1726 年に 64 回変わり 1720 年だけで 8 回、1726 年から 1795 年まで不変(p.7・表 5)。会社は 1721 年 4 月に管財、1723 年 4 月に再開し 1769 年まで貿易、1770 年に清算(pp.35, 41)
- 評価: 収益 7,550 万 × 倍率 15 で 1 株 1,875 リーヴル、頂点 9,000 の 5 分の 1。オランダ並みの金利を仮定しても 2 倍の過大評価。市場価格は 1719 年 11〜12 月以降ローの政策そのもの。ローは詐欺師ではない(会社は実業を営み、財産 950 万リーヴル以上をフランスの不動産に投じた)。紙幣による正貨の置換は「その後長く悪評の中にあり」、評価が戻るのは 1930 年代(pp.47–51)
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