稲と銭と銀 — 日本 上
A11 — 通史 ⑦ — 六二一年から一八〇〇年まで

国が鋳るのをやめた銭を、この島はなぜ海から迎え、山から掘り直したのか。
監修: 葉山 満 / 本文の読了目安: 科目本文 約 9 分 + 教本 約 112 分 = 約 121 分 / 本文のほかに、演習 6 問・実物 4 点・読む教材 3 停
この科目で、できるようになること
- 銭のない国家が恩賞を位と土地でしか払えず、土地が尽きると仕組みが壊れる型を、四つの乱で言える。
- 国家が額面を宣言しても市場は中身しか見ないことを、七七二年と信長の撰銭令で説明できる。
- 宋銭を退けた朝廷が半世紀で認めた逆転を、国家の意思と商人の損得勘定で言える。
- 数える金と量る銀と国産の銭が制度になり、改鋳の質と量の選択があったことを三つの改鋳で言える。
教本 — TEXTBOOK
レッスン(8節)
- 銭以前と和同開珎 — 利息が先にあり、造れば流れるではなかった銭のない国家は恩賞を位と田で払った。銭は造れば流れるのではなく、位で釣れば退蔵され、私鋳は反逆として裁かれた。
- 大仏と十二銭の黄昏 — 先に折れたのは国家だった国家の宣言を市場は十二年拒み、国家が折れた。造都と征討をやめた国家に銭は要らず、鉛の銭が絶えた。
- 銭を捨てた国と、海から来た銭絹と米と切符が動いた三百年。銭を連れ戻したのは海の商人で、朝廷は嫌いながら止められなかった。
- 米で戦い、土地で報いる — 治承・寿永から承久まで米が勝敗を決め、税の流れを押さえた者が政府になった。承久の乱は配る土地を供給した最後の戦。
- 幕府が銭を選ぶ — 元寇、借上、徳政幕府は宋銭を選び、守る戦は恩賞を生まず、土地でしか払えない仕組みが壊れて徳政を呼んだ。
- 海を渡る銭と、寺という銀行公の銭は鋳られず、船が寺のために銭を運んだ。寺が銀行で、幕府の柱は金貸しから取る税だった。
- 撰銭の世から銀の国へ — 鐚銭、石見、信長、秀吉国が銭を決められない島で商人が弾き、渡来銭が細ると銀が掘られた。信長は値をつけ、秀吉は金を見せた。
- 三貨の天下と改鋳の世紀 — 数える金、量る銀、寛永通宝数える金と量る銀と国産の銭。良い貨幣と十分な量は両立しにくく、増歩をつけた改鋳が八十年動かなかった。
ケーススタディ — 教材で使う(3)
- 十二銭の黄昏 日本 772年 平城京の市
七七二年、先に折れたのは国家だった。この一冊の背骨の一つ - 元寇 日本 1284〜1297年 九州
守る戦に配る土地はない。土地でしか払えない仕組みが壊れる一本道 - 改鋳の世紀 日本 1772年 江戸
量る銀を数える銀へ。通史⑧へ渡す一枚
評価方法
科目内の演習 6 問(確認 4・比較 0・記述 2)。到達は自己評価で記録します。