日本語
ログイン 入学案内
NOMISMA SCHOLA
教本で読む 教本航路コラム映像・朗読
科目で深める 科目
実物で確かめる 実物調べる用語集史料室実技
構造で考える 構造事件
学校について はじめに教員窓口学問の地図
入学案内 ログイン

言語
CASE FILES

なぜ「土地は下がらない」が、合理的に聞こえたのか。

日本の資産バブル 一九八〇年代 / 1987〜1991 年 / 日本 / 熱狂・バブル

1985 年 9 月のプラザ合意の後、公定歩合は 1987 年 2 月に 2.5% まで下がり、2 年 3 か月据え置かれた。株は 1989 年末に 38,915 円、地価は 1990 年に頂点を付け、1986 年から 1989 年の株と土地の値上がりは名目 GDP の 452% に達した。1989 年 5 月からの利上げと 1990 年 3 月の融資規制の後、株・土地・景気の順に崩れ、銀行の不良債権の処分損は 2020 年 3 月期までの累計で 107 兆円になった。

何が起きたか

1985 年 9 月 22 日、ニューヨークで 5 か国の蔵相と中央銀行総裁が声明を出しました。米国の経常赤字と日本・ドイツの経常黒字を不安定化の恐れがある不均衡と呼び、為替相場がその是正に役割を果たすべきで、主要な非ドル通貨のさらなる秩序ある上昇が望ましい、と書いています。付属の文書で日本は「円相場に十分に配慮した弾力的な金融政策」と、消費者信用と住宅ローン市場の拡大による内需の刺激を約しました。急速な円高による不況に対処するため、日本銀行は 1986 年 1 月 30 日から 1987 年 2 月 23 日までに公定歩合を 5 回、合計 2.5 ポイント下げました。5.0% から 4.5%、4.0%、3.5%、3.0%、そして 2.5% です。5 回のうち日本銀行の単独の判断は第 1 回だけで、第 2 回と第 3 回は米独の引下げと日を合わせ、第 4 回は宮沢・ベーカー共同声明、第 5 回はルーブル合意と同じ日でした。2.5% は 1989 年 5 月 31 日まで、2 年 3 か月続きます。

地価は東京から動きました。1987 年 1 月 1 日時点の地価公示で、東京圏の全用途は前年比 57.5%、商業地は 76.1% 上がっています。翌 1988 年は大阪圏と名古屋圏に広がり、1990 年には大阪圏が 45.7%、全国でも 13.7% 上がりました。景気は 1986 年 11 月を谷に上向き、1991 年 2 月まで 51 か月の拡張が続きます。マネーサプライ(M2+CD)の前年比は 1986 年 10〜12 月期の 8.3% を底に、1987 年 4〜6 月期には 10% を超えました。

株は 1986 年から上げ足を速め、1987 年 10 月 19 日のブラックマンデーで一度沈んだ後、1989 年 12 月 29 日の大納会に終値 38,915 円を付けます。プラザ合意の時の 12,598 円の 3.1 倍で、1989 年だけで 29% 上がりました。日本銀行は 1986 年の夏から緩和の行き過ぎを案じ、1987 年 8 月末に短期市場の金利を高めに誘導しましたが、ブラックマンデーで中断します。消費者物価は 1988 年に年率 0.7% で、利上げを説得する材料になりませんでした。

利上げは 1989 年 5 月 31 日に始まります。3.25%、10 月 11 日に 3.75%、12 月 25 日に 4.25%、1990 年 3 月 20 日に 5.25%、8 月 30 日に 6.0%。同時に窓口指導で「量・質両面で規律ある貸出」を求めました。1990 年 3 月 27 日、大蔵省銀行局は通達「土地関連融資の抑制について」を出します。内容は三つで、土地関連融資を融資全体に対して均衡のとれた水準にすることが望ましいという基本の立場、当面、公的な宅地開発機関向けを除いて不動産業向け貸出の増勢を総貸出の増勢以下に抑えること、そして不動産業・建設業・ノンバンクへの融資の実行状況を四半期ごとに報告すること。4 月から実施され、国会では「総量規制」と呼ばれました。

崩れる順は資産ごとに違いました。株は 1989 年末が頂点で、1990 年 8 月の利上げの約 1 か月後には頂点の半分になります。六大都市の市街地価格指数は 1990 年 9 月に 1985 年 9 月の約 4 倍で頂点を付け、地価公示は 1991 年 1 月 1 日時点で三大都市圏が前年比 3.2% の下落、1992 年には 14.2% の下落を示しました。さかのぼって 1990 年 4 月、日本銀行の調査月報は、地価は上がり続ける、少なくとも下がらないという「土地神話」を経済主体が暗黙の前提にしていると書いています。1991 年 1 月 25 日に閣議決定された総合土地政策推進要綱は、土地政策の目標の第一に「土地神話の打破」を掲げました。

総量規制は 1991 年末に解かれます。判断の材料は、7 月の地価調査と 12 月 20 日に公表された臨時の地価調査で三大圏を中心に下落が顕著になったこと、金融機関の融資の動向、住宅地の供給への支障でした。解除と同時に、地価が再び上がれば発動する仕組み(トリガー方式)が示されます。公定歩合は 1991 年 7 月 1 日の 5.5% から下がり始め、1995 年 9 月 8 日に 0.5% になりました。景気の山は 1991 年 2 月、谷は 1993 年 10 月です。

払いは長く続きました。全国銀行の不良債権処分損は 1993 年 3 月期の 1 兆 6,398 億円から集計が始まり、1996 年 3 月期に 13 兆 3,692 億円、1998 年と 1999 年の 3 月期にもそれぞれ 13 兆円を超えます。1998 年 10 月の金融再生関連法は公的資金の枠を 60 兆円、名目 GDP の 12% と定めました。リスク管理債権の残高は 2002 年 3 月期の 42 兆 280 億円が表の中で最も大きく、1992 年度以降の処分損の累計は 2020 年 3 月期で 107 兆 2,204 億円です。

出来事の順 出所: 日本銀行
  1. 1985
    • 9 月 22 日プラザ合意(ニューヨーク)。非ドル通貨の秩序ある上昇が望ましいと声明。日本は「円相場に十分に配慮した弾力的な金融政策」を約す G5 財務大臣・中央銀行総裁 1985
  2. 1986
    • 1 月 30 日公定歩合 5.0% → 4.5%(5 回の引下げの第 1 回。日本銀行の単独の判断)
    • 3 月 10 日公定歩合 4.0%(米独の引下げと同日発表)
    • 4 月 21 日公定歩合 3.5%(米国の引下げと同日実施)
    • 11 月景気の谷(第 11 循環の始まり) 内閣府経済社会総合研究所
    • 11 月 1 日公定歩合 3.0%(宮沢・ベーカー共同声明と同日)
  3. 1987
  4. 1988
  5. 1989
    • 4 月 1 日消費税(3%)の導入 翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001
    • 5 月 31 日公定歩合 3.25%(引上げの第 1 回)。窓口指導で「量・質両面で規律ある貸出」を要請
    • 10 月 11 日公定歩合 3.75%
    • 12 月 25 日公定歩合 4.25%
    • 12 月 29 日大納会。日経平均の終値 38,915 円(1989 年の年間上昇率 29%) 日本経済新聞社 2011
  6. 1990
  7. 1991
  8. 1992
  9. 1993
  10. 1995
    • 9 月 8 日公定歩合 0.5%
  11. 1996
  12. 1998
  13. 2002
  14. 2006
  15. 2020

お金はどう動いたか

動いたのは土地の値段と、土地を担保にした信用です。株と土地のキャピタルゲインは 1986 年から 1989 年の 4 年で名目 GDP の 452% に達し、1990 年から 1993 年の損失は 159% でした。列島改造の 1972〜73 年が 193% です。国民総資産は 1985 年末の 4,377 兆円から 1990 年末の 7,937 兆円へ増え、名目 GDP の 12.88 倍から 17.18 倍になりました。そのうち土地等の占める割合は 24.3% から 31.2% に上がっています。増えたのは土地の面積ではなく土地に付く値段で、その値段を担保に貸出が伸びました。

誰が借りていたのか。1989 年 12 月末、全国銀行の不動産業向け融資は 46 兆 9,000 億円、建設業向けは約 20 兆円で、ノンバンクを含む三業種への融資は融資全体の約 3 割にあたる、と銀行局長は国会で答えています。企業と家計の資金調達は借入だけでなく、時価発行増資・転換社債・ワラント債を合わせて 1989 年に前年比 14% 近く伸びました。銀行の側では、預金金利の自由化が 1985 年から進み、大企業が資本市場で調達するようになったため、不動産を担保にした中小企業向けと不動産関連の貸出に向かいます。後に破綻した第二地方銀行 7 行は、1980 年代前半から収益性が低く、80 年代半ばから不動産関連の貸出を広げていました。

緩和が資産の値を押し上げる経路は三つあった、と翁・白川・白塚は整理します。投機の資金の調達費用が下がること、株高で資本市場の調達が楽になること、そして地価と株価の上昇が担保の価値を高め、借入の余地を広げることです。三つ目が土地の値段と信用を一つの輪にしました。地価が上がると担保が増え、貸出が増え、その資金が土地に向かって地価が上がる。1989 年第 4 四半期、日本の銀行の国際貸出のシェアは 41% で頂点を付けます。都市銀行・長期信用銀行・信託銀行の自己資本は、株の含み益と増資で 1988 年 9 月末の 35 兆円から 1 年で 46 兆円に増えました。

なぜ「土地は下がらない」が合理的に聞こえたのか。理由の一つは制度にあります。土地は保有への課税が軽く、売れば重く課税されるので、値上がりが見込めるときは持ち続ける方が得でした。農地が宅地に変わる期待も供給を抑えます。持ち主から見れば、上がる地価は制度が生む恩恵の現在価値で、その期待が地価をさらに押し上げました。1987 年に保有 2 年以下の転売への重課が入り、1992 年 1 月に地価税が施行されますが、それは地価が下がり始めた後です。もう一つは経験です。翁ほかによれば、この時の地価の上昇は統計のある 1950 年代半ば以降で、実質の上昇率でも期間の長さでも最も大きいものでした。上がり続けた記憶の上に、上がる制度が乗っていました。それを疑う言葉が公文書に現れるのは、1990 年 4 月に日本銀行が「土地神話」を名指ししてからです。

崩れてからの流れは逆向きです。翁・白川・白塚は長い停滞を三つの経路で説明します。強気の期待の修正、バブル期の設備投資の経済価値の低下、そして地価の下落が貸し手と借り手の資本を削り、信用を縮めるバランスシートの修復で、三つ目が最も重い。担保の値と借り手の収益が同じ向きに動く貸出は、彼らの言葉では実質的に無担保です。最後に誰が払ったか、と問えば、担保を失った借り手、処分損を計上した銀行、そして 1998 年に 60 兆円の枠を用意した国です。実際の投入額はこのファイルでは未確認です。処分損の累計 107 兆円は、貸した側の帳簿に残った土地の値段の跡です。

公定歩合(商業手形割引歩合)(%)03651983/104.51986/1433.543112.51987/23.251989/53.75104.25125.251990/3685.51991/75114.5123.751992/43.2572.51993/21.75911995/40.59
日本銀行の表の実施日ごとの水準。2.5% は 1987 年 2 月 23 日から 1989 年 5 月 31 日まで 2 年 3 か月続いた。 出所: 日本銀行
地価公示 対前年平均変動率(三大都市圏・全用途)(%)017342.919857.1198634.4198722.4198813.9198921.51990-3.21991-14.21992-12.71993-7.11994-61995-6.51996
各年 1 月 1 日時点の公示地価の、前年 1 月 1 日に対する平均変動率。1991 年から 2005 年まで 15 年連続で下落した。 出所: 国土交通省 土地・水資源局地価調査課 表(三大都市圏・全用途)
国民総資産に占める土地等の構成比(%)0163126.1198026.7198126.5198225.5198324.4198424.3198526.3198629.4198728.9198829.4198931.2199028.7199126.6199225.1199323.91994
内閣府の長期経済統計(1990 年基準・93SNA の系列、年末)。1980 年末は基準改定後の値。1994 年末で基準が変わるため、それ以降は描かない。 出所: 内閣府 国民経済計算(5/5)
全国銀行の不良債権処分損の累計(1992 年度以降)(兆円)0541071.641993/35.5121994/310.7441995/324.1131996/3地域銀行を含む31.8771997/345.1351998/358.7661999/365.712000/371.8182001/381.542002/388.1982003/393.5722004/396.422005/398.9532008/3103.7292010/3105.8572015/3107.222020/3
金融庁の表 5 の「4 年度以降の累計」を 1 兆円単位に直した(億円 ÷ 10,000)。1995 年 3 月期以前は都銀・長信銀・信託のみ、1996 年 3 月期から地域銀行を含む。 出所: 金融庁 監督局総務課監督調査室 2020 表 5「4 年度以降の累計」
38,915日経平均1989-12-29(大納会・終値)・時価 翁ほか p.399 も同じ値(38,915)。プラザ合意時(1985-09)12,598 円の 3.1 倍日本経済新聞社 2011 冒頭
14,309(頂点比 −60% 超)日経平均の下落1992-08・時価翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001 p.399
1985-09 の約 4 倍市街地価格指数(六大都市)1990-09(頂点)・分母 1985-09 = 1・名目 1999 年に頂点比 約 −80%翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001 p.399
1987 年 +34.4%、1988 年 +22.4%、1989 年 +13.9%、1990 年 +21.5%、1991 年 −3.2%、1992 年 −14.2%%地価公示 対前年平均変動率(三大都市圏・全用途)各年 1 月 1 日・分母 前年 1 月 1 日の価格・名目 東京圏 1987 年 +57.5%(商業地 +76.1%)、大阪圏 1990 年 +45.7%国土交通省 土地・水資源局地価調査課
452%名目 GDP 比 %キャピタルゲイン(株+土地)1986〜1989 累計・分母 各年の名目 GDP・名目 1990〜93 の損失は 159%。土地だけでは +367%(1986〜90)・−107%(1991〜93)(p.407 Table 1)翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001 p.399 Fig.4
1985 年末 4,377 兆円(土地等 24.3%)→ 1990 年末 7,937 兆円(31.2%)→ 1994 年末 8,044 兆円(23.9%)兆円・%国民総資産と土地等の構成比年末・分母 国民総資産・名目 土地等の額は 7,936,547 十億円 × 31.2% = 2,476,203 十億円(構成比は 0.1% 刻みのため ±4 兆円の幅)。1994 年末で基準改定内閣府 国民経済計算(5/5)
谷 1986-11・山 1991-02・谷 1993-10年月景気の山・谷第 11 循環 拡張 51 か月・後退 32 か月内閣府経済社会総合研究所 一覧表
5.0(1983-10-22)→ 4.5 → 4.0 → 3.5 → 3.0 → 2.5(1987-02-23)→ 3.25(1989-05-31)→ 3.75 → 4.25 → 5.25(1990-03-20)→ 6.0(1990-08-30)→ 5.5(1991-07-01)→ … → 0.5(1995-09-08)%公定歩合の推移1983〜1995・商業手形割引歩合 翁ほか Table 2・7 と一致日本銀行
46 兆 9,000 億円(建設業向け約 20 兆円)不動産業向け融資残高(全国銀行)1989-12 末・残高 三業種(不動産・建設・ノンバンク)で融資全体の約 3 割(銀行局長の見方)国立国会図書館 国会会議録検索システム 1990 発言 037
10 兆 7,442 億(1995-03)→ 45 兆 1,351 億(1998-03)→ 88 兆 1,982 億(2003-03)→ 107 兆 2,204 億円(2020-03)不良債権処分損の累計(全国銀行・1992 年度以降)各 3 月期・名目 1995-03 以前は都銀・長信銀・信託のみ。リスク管理債権の頂点は 2002-03 の 42 兆 280 億円金融庁 監督局総務課監督調査室 2020 表 5
60 兆円(名目 GDP の 12%)→ 70 兆円公的資金の枠1998-10(金融再生関連法)・分母 名目 GDP・枠 実際の投入額はこのファイルでは未確認翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001 p.405 注 9

何から分かるか

史料は 4 つの群に分かれます。第一に公文書と公的統計。日本銀行の公定歩合の表、内閣府の景気基準日付と長期経済統計、国土交通省の地価公示の変動率、金融庁の不良債権処分損の表は、いずれも作成者の頁で読みました。第二に国会会議録。通達が出た 1990 年 3 月 27 日の大蔵大臣の答弁、翌日の銀行局長の補足、4 月 3 日の予算委員会、解除後の 1992 年 2 月 26 日の大蔵委員会と建設委員会を読み、通達の内容・実施の月・解除の経緯をそこから取りました。通達そのものの原文はこのファイルの作成時点で入手していません。第三に日本銀行金融研究所の論文。翁邦雄・白川方明・白塚重典(2001)は全文を読み、値の多くと政策の経過をこれに拠っています。第四に指数の作成者の記事。日本経済新聞の 2011 年の記事は冒頭だけが公開されています。

これらには偏りがあります。翁ほかは日本銀行の職員が自らの政策を振り返った論文で、「引締めが遅れた理由」の章はその立場から書かれています。政策委員会議長の談話や 1990 年 4 月の調査月報は、著者らの英訳で読んだだけで原文は未読です。国会会議録は大蔵省・国土庁の答弁と、それを批判する議員の発言の両方を含みますが、金融機関や借り手の側の記録ではありません。地価の統計は用途と都市で系列が違い、地価公示は 1 月 1 日時点、市街地価格指数は 3 月末と 9 月末の値です。市街地価格指数の原統計は未読で、値は翁ほか経由に留まります。

研究の立場は分かれます。翁ほかは、単一の要因はなく、金融機関の積極化・緩和の長期化・土地の税制と規制・規律の弱さ・日本への自信が「強気の期待の強化」を通じて絡み合ったとし、緩和は必要条件だが十分条件ではない、早く引き締めても発生は防げず崩壊が早まっただけだ、と評価します。バーナンキとガートラー(1999)は、1988 年に金利を 4% から 8% に上げていれば防げたと試算しました。吉冨(1998)は不動産関連貸出の増加に原因を求め、金融政策より健全性規制の強化を対案とします。野口(1992)、日本経済新聞社(2000)、村松・奥野(2002)は書誌の確認に留まり、このファイルはどれか一つを事実として採りません。

翁ほかは第一次大戦後のバブルとも比べています。土地のキャピタルゲインは 1913〜19 年に GNP の 335%、1924〜30 年の損失は 43% で、1986〜90 年の 367% と 1991〜93 年の 107% は、上がり方は近く、下がり方は大きい。株価の上げ下げの率は変わらず、崩壊後の経済活動の落ち込みは 1980 年代の方が小さかった、と彼らは書きます。同じ国の二つの事件を同じ物差しで測った例として、ここに記しておきます。

何から分かるか — 史料の層

発生要因と政策の責任

翁・白川・白塚 2001

単一の要因は無い。緩和は必要条件だが十分条件ではない。早期の引締めでも発生は防げず、崩壊が早まって傷が浅くなった可能性がある

翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001
Bernanke–Gertler 1999(翁ほか経由)

1988 年に金利を 4% から 8% に上げていれば防げた

翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001
吉冨 1998(翁ほか経由)

不動産関連貸出の増加が原因。対応は健全性規制の強化

翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001
野口 1992

未読

野口悠紀雄 1992

バブル期の定義

翁ほか

1987〜1990 年(資産価格・経済活動・マネーと信用の同時の上昇)。均衡価格からの乖離で定義する方法は採らない

翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001

総量規制の効果

大蔵省(土田銀行局長 1992)

土地関連融資の伸びは総じて抑制基調が定着した

国立国会図書館 国会会議録検索システム 1992
翁ほか 2001

導入はバブルの崩壊とほぼ同時。期待が強いときの総量規制は抜け穴を生む

翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001
国会の批判(渋谷・池田 1992)

後手で手ぬるく、成果が上がらないうちに引き揚げた/トリガー方式がもっと早ければ

国立国会図書館 国会会議録検索システム 1992

よく聞く説明を確かめる

「山手線の内側の土地でアメリカ全土が買えた」。出どころは未特定です。国民経済計算で確かめられるのは、1990 年末の国民総資産 7,937 兆円のうち 31.2% が土地等だったことまでで、米国の土地の総額と並べた資料はこのファイルでは確認していません。言い回しは事件の大きさを伝えますが、誰がいつ計算したのかを示す記録に、まだ行き着いていません。

「皆が土地転がしをした」。文書で確かめられるのは、保有 2 年以下の転売に 1987 年から重課が掛かったこと、不動産業・建設業・ノンバンク向けの融資が全国銀行の融資の約 3 割に達したこと、国土庁が高騰の原因を都心の業務用地の需要と周辺住宅地の買い替え、それを見込んだ投機的な取引に求めたことです。家計や個人がどこまで加わったかを数えた資料は、このファイルでは未読です。

「総量規制がバブルを潰した」。順序を見ると、通達は 1990 年 3 月 27 日で、株価の頂点の 3 か月後、公定歩合を 5.25% に上げた 1 週間後です。翁ほかは「総量規制の導入はバブルの崩壊とほぼ同時」と書き、地価上昇の期待が強いときの総量規制は抜け穴を生む、と評価します。1992 年の国会では、1990 年の『エコノミスト』が「今ごろ実施するのはいかにも手ぬるい」と評していたことが読み上げられ、解除の早さが問われました。大蔵省は「土地関連融資の伸びは総じて抑制基調が定着した」と効果を認めています。一因ではあっても、単独の原因とは資料から言えません。

「土地は下がらない」。この言葉自体は 1990 年 4 月に日本銀行が名指しし、1991 年 1 月に政府が打破を目標に掲げました。地価公示の三大都市圏の全用途は 1991 年から 2005 年まで 15 年続けて下がり、六大都市の市街地価格指数は 1999 年に頂点より約 80% 低くなっています。神話は、それが神話だと公文書に書かれた後で崩れました。

「日本人が浮かれていたから起きた」。このファイルはこの説明を採りません。翁ほかが挙げる要因は、金融機関の行動、金利、税制、規律の仕組み、そして時代の政策課題で、心理はそれらが絡み合った結果として現れています。同じ緩和が過去の局面でバブルを生まなかったこと、1980 年代後半に北欧など他国でも資産価格が上がったことを、著者ら自身が反証として挙げています。

「山手線の内側の土地でアメリカ全土が買えた」

裏付けなし出どころ: 出どころは未特定(通俗)

内閣府

「土地は下がらない(土地神話)」

誇張出どころ: 日本銀行 1990 年 4 月調査月報が「経済主体が暗黙に前提」と指摘。総合土地政策推進要綱(1991-01-25)が「打破」を目標に掲げた

翁邦雄・白川方明・白塚重典 2001 国立国会図書館 国会会議録検索システム 1992 国土交通省 土地・水資源局地価調査課

今とのつながり

この事件から今に残るのは、値段ではなく構造です。担保の値が上がると貸出が増え、貸出が担保の値を押し上げる輪。担保の値と借り手の収益が同じ向きに動くとき、担保は担保として働かないという指摘。そして、値が下がった後に貸し手と借り手の資本が同時に削られ、信用が縮む経路です。この三つは、繰り返す構造の頁と、現代のお金の科目の「担保の値が落ちたとき」で扱います。

もう一つ残るのは、政策の道具の順序です。利上げ、窓口指導、融資の総量規制、土地の税制は、どれも地価が頂点を過ぎる前後に順に打たれました。効いたのか、遅かったのか、抜け穴があったのかは、いまも評価が分かれています。このファイルは現在の日本の株価や地価について何も予測しません。

比較の限界

2007 年からの米国の住宅と信用の危機とは、不動産の値段と銀行の貸出が結びつき、値段の下落が銀行の帳簿を壊した点で並べられます。違うのは仕組みの場所です。日本は銀行の貸出と土地の担保が中心で、証券化・レポ市場・MMF は主役ではなく、崩れる速さも数年と数週間で桁が違います。「日本の失われた 10 年=2008 年後の米国」という同一視はしません。

チューリップ狂や 1907 年の恐慌とは並べません。土地は供給が伸びる資産で球根は一点物、価格の記録の質も違い、恐慌は時間の尺が違います。比べるなら、翁ほかが行ったように、同じ国の第一次大戦後の土地の値上がりと損失を同じ物差しで測る方が、学ぶところが多いと言えます。

史料

事件の一覧へ