NOMISMA SCHOLA
READING A COIN

太陽王の銀貨と空の金庫

1690年に打たれた一枚の銀エキュ。財務総監の改革で財政は一度黒字になったはずでした。それでもなぜ、フランスは貧しくなっていったのか。銀貨が生まれた背景を遡ります。

2026-08-31 葉山 満 実物を読む

栄光の王の銀貨

ここに一枚の大型銀貨があります。1690年、トロワの造幣所で彫刻家ロエティエが手掛けた、ルイ14世のエキュ・ブランです。総量およそ27グラム、額面は3リーブル。原型は1641年のエキュ・ダルジャンとされます。

ルイ14世の親政は三つの大戦争で貫かれ、常備軍の膨張とヴェルサイユ造営が国庫を空にしました。財務総監コルベールは歳入構造を組み替えて一度は黒字に転じさせましたが、記事は言い切ります。それでも度を越した戦費のためフランスは貧しくなっていった、と。

黒字を達成した財務総監

太陽王の親政を財政で支えたコルベールは、民が納めた税の半分にも満たない額しか、王に届いていないと暴きました。彼は前任フーケを弾劾し、公債の一部を踏み倒し、利払いを下げ、直接税を間接税へ移します。

彼の改革で、赤字は千六百六十六年に黒字へと転じました。利払いは五千二百万リーヴルから二千四百万リーヴルへ半減します。コルベールにとって国の富とは、国のうちに貯め込む金銀の量でした。輸出で稼ぎ、輸入を関税で抑え、王立の工房を興します。けれど記録は、それでもフランスは貧しくなったと断じています。度を越した戦費が、金を国の外へ漏らし続けたのです。

未来から借りていた金

そもそも、ルイ14世が即位した時点で、勘定はすでに未来へ回されていました。一六四二年、宰相リシュリューが世を去り、翌年、ルイ十三世も後を追います。四歳で即位した幼い王の治世は、母后アンヌ・ドートリッシュの摂政と、首席大臣マザランによって始まりました。

王が代わっても戦争は止まらず、国家の支出は一六〇〇年から一六五〇年のあいだに五倍へ膨らみます。その金はどこから来たのか。王権は官職を売り、未来の税を担保に、トレタンと呼ばれる金融請負人から現金を前借りすることで賄っていました。

宰相の首にかかった賞金

一六四八年、この歪みは破綻します。王権は、官職の世襲を認める代わりに、上級法院の官僚から俸給の四年分を留保すると告げました。これに法院は連合して抵抗し、地方総監の廃止や減税、課税への同意権を要求します。窮した王権は、貸し手であるトレタンへの支払いを止めました。事実上の国家破産です。

パリの街路には樽と鎖でバリケードが築かれ、フロンドと呼ばれる内乱が始まります。一六四九年一月、摂政政府は幼い王を連れてパリを脱出。やがて首席大臣マザランも亡命を強いられます。一六五一年十二月二十九日、高等法院はマザランの首に、十五万リーヴルの賞金を懸けました。宰相の首に、国家の機関が値を付けたのです。

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