時は飛ぶ、と刻まれた紙の運命
中央に「FUGIO(時は飛ぶ)」と日時計、その下に「MIND YOUR BUSINESS」。独立戦争の戦費を賄うために刷られた大陸紙幣は、その言葉とは裏腹に価値を失い、一つの慣用句を英語の中に残しました。

FUGIO、時は飛ぶ
一七七六年二月十七日の決議により発行された、六分の一ドルの大陸紙幣があります。中央には日時計の図像と「FUGIO」の一語。ラテン語で「時は飛ぶ」という意味です。その下には「MIND YOUR BUSINESS」と刻まれています。この図像はフランクリンの考案と伝えられています。
この紙幣を発行したのは、フィラデルフィアに集まった大陸会議でした。独立を目指す各邦の代表たちで構成されたこの「政府」には、しかし課税する権限がありませんでした。国庫のない政府が戦争を戦うために選んだ道が、紙に貨幣を刷ることだったのです。千七百七十五年六月、武器を買い、兵士を養うために、紙は刷られはじめました。
坂を転がるように
はじめはゆっくりと、やがて急激に、紙の価値は滑り落ちていきました。千七百八十年には、大陸紙幣の値打ちは額面の四十分の一前後にまで沈んだとされます。紙の一ドルは、銀の一ドルの影でしかありませんでした。
市場では、同じ品物でも紙で払うか銀で払うかで、まったく別の値札が付けられます。人々は札束を抱えて市場へ向かい、わずかな品物と交換して帰りました。刷れば刷るほど紙は軽くなり、紙への信頼は崩れていきました。
言葉になった墓碑銘
そして千七百八十一年、大陸紙幣はほとんど通用を停止します。市場で差し出しても、誰も受け取らなくなったのです。貨幣は、受け取られなくなったときにその命を終えます。
この紙の死は、一つの言葉になって英語の中に残りました。「Not worth a Continental」——大陸紙幣ほどの値打ちもない。まったく価値のないものを指す言い回しです。貨幣の名が、無価値の代名詞として残る。これほど残酷な墓碑銘はそうありません。独立の理想とともに刷られた紙は、慣用句の中に葬られました。
紙の失敗という記憶
戦争は、独立という果実を残しました。そしてもう一つ、紙の失敗という記憶も残しました。この経験は、フランスでアッシニアという紙が刷られて崩れていくより、一足早いものでした。
この記憶が、のちの合衆国が紙幣というものにひどく臆病になる原点となります。国が生まれる産声のかたわらに、紙の墓標が立っていたのです。この傷を抱えたまま、独立したばかりの国は、国の形を定める仕事に向かいます。
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