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戦争を支えた金貨、ナポレオン

ナポレオンは、戦費を紙で刷りませんでした。代わりに財源となったのは戦争そのものであり、征服地から集めた金属でした。皇帝が欲した金は、一枚の金貨の形をとります。

3分でわかる ナポレオン金貨

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横に送って見られます

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1803年

法律で、20フランの金貨が生まれた。通称ナポレオン

5.806グラム

中に入っている純金の重さ

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そのころ

ナポレオンは、戦争のお金を紙のお札で刷らなかった

革命の時代に紙のお金が崩れた記憶があった

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1803年4月30日

北アメリカのルイジアナを、合衆国に売った

8000万フラン

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1804年4月

敵の国の銀行が、残りを現金でフランスへ渡した

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征服のころ

もう一つの財源は戦争そのもの。負けた国から集めた

プロイセンには1億2000万フランの賠償

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1810年の前後

集めたお金は、将軍たちへのほうびになり、忠誠を買った

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1812年

ロシアで征服が止まり、ほうびの泉も逆に流れた

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その後

王や共和政に変わっても、金の重さは1803年のまま

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6.45161グラム

20フラン金貨の重さ(純金は5.806グラム・直径21ミリ)

8000万フラン

ルイジアナを合衆国に売った値段

3あなたならどうする?

あなたはナポレオンの財布係です。大きな戦争にお金が要ります。お札を刷りますか、それとも金属を集めますか?

選んでみてください

お札を刷る

ナポレオンは、革命政府の紙のお金が崩れた記憶から、この道を選びませんでした。

金属を集める

ナポレオンの道です。ルイジアナを売り、征服した国から集めました。でもこの仕組みは、勝ち続けることが前提でした。1812年、ロシアで止まります。

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2026-10-15 葉山 満 コインをじっくり見る
フランス 金属で戦った皇帝/パリの財務省

変わらなかった金の重さ

一八〇三年に定められたジェルミナル法は、一枚の二十フラン金貨を世に出しました。通称、ナポレオン。総重6.45161グラム、純金5.806グラム、直径21ミリ。この金貨の凄みは、その規格が政体をまたいで変わらなかったことにあります。

ナポレオン一世の横顔が刻まれた金貨は、のちに復古した王たち、第二帝政、そして第三共和政のマリアンヌと雄鶏へと、その肖像を変えていきます。皇帝が去り、王が来て、共和政が敷かれても、二十フランの金の重さだけは、一八〇三年のままでした。

ナポレオンが欲した金属

ナポレオンは、革命政府が崩壊したアッシニアの記憶から、戦費を紙で刷りませんでした。第一統領だった彼が欲したのは、今この手にある金属です。一八〇三年四月三十日、フランスは北アメリカのルイジアナを合衆国に八千万フランで売ります。しかし、払いの大半は遠い先の国債でした。

ここで動いたのが、ロンドンのベアリング商会とアムステルダムのホープ商会です。両行は国債を五千二百万フランで引き受け、一八〇四年四月、残る四千三十五万フランを、一度にフランスへ渡しました。前の年の一八〇三年五月には、フランスとイギリスは戦を始めています。敵国の銀行が、対英戦の軍資金を現金で用立てたことになります。イギリス政府は、はじめそれを黙認しましたが、一八〇三年の暮れには、ベアリングへ払いの停止を命じました。残りの払いは、ホープ商会が引き継ぎました。

征服地から集めた富

もう一つの財源は、戦争そのものでした。占領地からの分担金、敗戦国からの賠償、そして現地での徴発です。プロイセンは、ティルジット条約ののち、一億二千万フランの賠償を課されました。それとは別に、一億四千六百万から三億九百万フランを、徴発と宿営で搾り取られました。

このとき、プロイセンの人口は半分に削られています。これは賢い戦時財政ではなく、他者から奪った黒字でした。この仕組みは、征服が続くかぎり機能します。

恩賞で買う忠誠と、その終わり

征服地からの分担金は、通常の予算から切り離され、皇帝がじかに握ったとされます。この仕組みは特別領と呼ばれ、千八百十年の前後に置かれたと伝えられます。その金は、元帥や将軍への恩賞に化け、軍の忠誠を買うために使われました。

しかし、この管はすべて、勝ち続けることを前提にしていました。千八百十二年、ロシアで征服が止まると、恩賞の泉も流れを逆にします。財源が、戦争そのものだったからです。

蓄えの代名詞となった金貨

征服の時代は終わりましたが、金貨は残りました。刻まれた横顔は入れ替わっても、金の重さは変わりません。この変わらないという事実が、金貨を信用の証にします。

一八七一年の対プロイセン賠償五〇億金フランも、この金貨で払われた金が支えました。だから今もフランス人は、この金貨を蓄えの代名詞と呼ぶのです。ただし、この体系は金と銀の複本位であり、金本位ではありませんでした。

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