簒奪者が開いた造幣所
二〇一〇年、英国の土から五万二千五百三枚のローマ貨幣が現れました。この膨大な埋蔵貨は、ある簒奪者が統治の道具として貨幣を使い、ロンドンに最初の造幣所を開いた時代を物語っています。

壺が語る帝国の土
二〇一〇年、イングランド南西部のサマセットで、一つの大きな壺が土の中から現れました。中には、五万二千五百三枚ものローマ貨幣がぎっしりと詰まっていたのです。フロム・ホードと名づけられたこの英国最大級の埋蔵貨は、なぜ埋められ、二度と掘り出されなかったのか。持ち主に何が起きたのか、壺は答えを語りません。
ただ確かなのは、この島の畑の下、野の下に、帝国の時代が眠っているということです。そして、この壺が大量に含んでいたのが、いま物語っている三世紀の貨幣でした。五万二千五百三枚という数は、貨幣がどれほど深くこの島に行き渡っていたかを示す、物言わぬ台帳でもあります。
海峡から生まれた皇帝
壺が指し示す三世紀の終わりごろ、物語の舞台はブリテンとガリアを隔てる海峡です。属州の富も、軍団の俸給も、すべてはこの灰色の海を渡りました。その海の守りを預かる海峡艦隊の司令官に、カラウシウスという男が就きます。艦隊を握る者は、海峡を握る。そして、海峡を握る者は、島を握る。やがて彼はその意味に気づきます。
二百八十六年ごろ、カラウシウスは反旗を翻しました。艦隊を手に、ブリテン島と北ガリアの一帯を支配下に置き、みずからを皇帝と称したのです。ローマから見れば簒奪者。しかし、海峡そのものが城壁となり、海を隔てた反逆者をすぐには討てませんでした。
ロンドンの最初の造幣所
正統の血筋も、ローマの承認も持たない簒奪者にとって、統治の道具となったのが貨幣でした。みずからの名を刻んだコインは、支配を目に見える形にする、何よりの手段だったのです。そのために彼は、ロンディニウム——いまのロンドンに、本格的な造幣所を開きました。
これが記録に残るかぎり、ロンドンで貨幣が打たれた最初の時代です。のちに金融の都として世界に知られるこの町の造幣の歴史は、正統の皇帝ではなく、一人の簒奪者の手で幕を開けました。コインにはMLなどの造幣所の記号が刻まれ、どこで打たれたカネかをいまに伝えています。
貨幣で語り、貨幣で争う
カラウシウスの貨幣は、支払いの道具にとどまりませんでした。彼はコインの銘文に詩人ウェルギリウスの詩句を引くことまでして、一枚の貨幣を、みずからの正統性を語る宣伝の紙面に変えました。
彼を倒した側も、同じ武器で応じます。二百九十三年にカラウシウスは部下のアレクトゥスに暗殺され、二百九十六年、コンスタンティウス一世がブリテンを奪回します。その勝利を讃える「アラスのメダリオン」は、ロンドンの奪回を「永遠の光の回復者」という言葉で讃えました。簒奪者も、正統の帝国も、貨幣で語り、貨幣で争ったのです。
ロンドンの造幣所は、その後のコンスタンティヌス朝の時代まで稼働を続けましたが、三百二十年代に閉鎖されました。
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