国庫という金庫の前に立つ者たち
軍隊はあるのに、兵を養う金銀の蓄えがない。戦争という、カネを最も激しく飲み込む営みを、空っぽの手で始めた政府がありました。

空っぽの手で始めた戦争
植民地の代表たちが集った大陸会議は、戦争を率いる事実上の政府でした。その手元には、驚くほど何もありませんでした。前線には支払いを待つ兵たちがいるのに、彼らを養う金銀の蓄え、つまり国庫がありません。戦費を税として取り立てる力、課税の権限も持っていなかったのです。軍隊はあるのに、国庫がない。戦争という、カネを最も激しく飲み込む営みを、空っぽの手の政府が始めてしまいました。
国庫が示す三つの道
戦が始まると、国の金庫と役所である国庫の帳簿は、出るものが増え入るものが減るという算術に追い詰められます。そのとき手元にある道は、増税か借金か、そして三つめの道です。貨幣に手を伸ばす道——銀貨の貴金属を減らして額面はそのままにし、その差益を国庫へ入れるのです。これは名前のない戦時税とも言われます。差額は一時的に国庫へ入りますが、そのあと物価という形で、貨幣を持つ全員に請求が回ることになるとされます。カンナエの敗戦ののち、ローマは青銅貨を軽くしました。
銀山がもたらした富
一方、豊かな国庫もありました。アテナイの硬貨には、女神アテナの頭とその鳥フクロウが刻まれていました。四ドラクマの銀貨テトラドラクマを、人々はただフクロウと呼びます。この銀は、アッティカの南にあるラウレイオンの鉱山から来ました。ヘロドトスは、鉱山の収入がアテナイの国庫に大きな富をもたらしたと書いています。紀元前五世紀の最初の二十年に、フクロウは大量に打たれました。その硬貨は東地中海じゅうで好まれ、古代でもっとも多くまねされた硬貨になったのです。
岐路に立つ臨時収入
アテナイの国庫には、桁外れの臨時収入が転がり込んだこともあります。アリストテレスの『アテナイ人の国制』によれば、前四八三/二年のこと、ラウレイオンで新たな鉱区が発見され、国庫はその採掘から一〇〇タラントンの利益を得ました。振り返れば、ペルシア戦争の危機のわずか数年前です。銀の山が、歴史の岐路の直前に口を開けたことになります。この大金をどうするか。都市の前には、市民みなで分けるか、それとも別の何かに変えるかという二つの道がありました。
国庫を巡る判断は、時に国家の命運そのものを左右します。そして千五百五十七年、フェリペ二世は国庫の破産——支払いの停止を宣言しました。
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