危険を分け、利を分ける仕組み
戻らない船もある航海では、危険を分ける仕組みが要りました。一隻に少しずつ、何隻にも分けて出す。この発想はのちの株式会社の骨格となり、近代の資金調達の柱へと育っていきます。

戻らない船もある航海
航海には、船と食料と人手の前払いが必要です。戻るまで収入はなく、しかも、戻らない船もあります。一隻に全額を賭ければ、一度の沈没ですべてが終わります。
ここで、資金を出す仕組みが要りました。王室の金庫だけでは足りず、リスボンの商人、そしてジェノヴァやフィレンツェから来た金融の担い手が加わります。一隻に少しずつ、何隻にも分けて出す。危険を分け合い、利を分け合う。株式会社という形はまだ先ですが、その原型がここで動きはじめました。十五世紀の後半には、この仕組みが整いはじめたとされます。オランダの東インド会社より、百年以上早い実務でした。
損は出資の範囲まで
出資を集めて事業を行う組織が、会社です。特に、株を売って資金を集め、損は出資の範囲までとする仕組みができると、人は思い切った額を出せるようになります。
危険を分けるという発想が、より洗練された形で制度になったのです。これは公債と並んで、近代の資金調達の大きな柱になりました。
紙の上の熱狂
借金を魔法のように消してみせると言う男が現れます。スコットランド人のジョン・ローです。彼はお金は金属である必要はなく、紙で良いと言いました。銀行が紙幣を刷り、経済を回せば国は豊かになる、と。
千七百二十年、彼の銀行とミシシッピ会社の株は、熱狂の的になりました。株価は天井知らずに上がりますが、やがてはじけます。世界で最初の、紙幣とバブルの崩壊でした。破裂したのは、紙幣を正貨に換えてくれという要求に応じられなくなったときです。ローは紙幣を刷ることはできても、金貨を作ることはできなかったのです。財産を失った人々は紙のお金を信じなくなり、この傷はフランスに百年、紙幣への不信を残しました。
取り付けは連鎖する
千九百七年、十月のニューヨーク。火の手は、信託会社から上がりました。経営への不安が広がると、預けた人々が窓口へ殺到します。取り付けです。
十月二十二日、ニッカーボッカー信託は、三時間で八百万ドルを払い出し、営業を止めます。しかし、これは破綻ではありませんでした。翌年の三月には、営業を再開しています。けれど、この停止を発端に取り付けは連鎖し、市場は凍りつきました。貸し手は消え、街の空気そのものが疑心に変わっていきます。
当時、恐慌のときの指針を書いた法はありませんでしたが、財務省は銀行へ資金を預託しました。十月二十四日に二千五百万ドル、十月のうちに三千六百万ドル。法に道具が無くても、水は運ばれていたのです。
複数の船に分け、複数の出資者で分ける。危険を分けるという発想が、株式会社の骨格になりました。


