17世紀のドイツ
領主は良いお金を集めて削り、銅を混ぜて作り直した
貨幣の中身を減らして作り直す「悪鋳」。それは発行者に短期の利益をもたらしますが、必ず物価を狂わせます。正しさを語るはずの貨幣が、怒りの的になるときです。
3分でわかる 悪鋳(お金の中身を減らすこと)
横に送って見られます
17世紀のドイツ
領主は良いお金を集めて削り、銅を混ぜて作り直した
そのしくみ
同じ銀から多く作れる。その差が、作った側のもうけ
長い目では
すぐにはもうかるが、あとで必ず物価が上がる
後260年
ローマの将ポストゥムスは、本国より良いお金を打った
良いお金が、支配者の正しさを語った
後268年の末
その彼のお金にも、中身が減るきざしが現れた
1618年
30年戦争が始まり、悪鋳は手近なお金の出どころに
そのころ
悪いお金は隣へ流れ、隣も身を守るため悪くした
1620年〜23年
主な食べ物の値が、およそ8倍になった
およそ8倍
およそ八倍
1620年〜23年に上がった、主な食べ物の値
5分の1ほど
1621年、小額のお金の平均の値打ち(額面に比べて)
あなたは小さな領主です。隣の領主が中身を減らしたお金を作り、それがあなたの土地に流れこんできました。どうしますか?
選んでみてください
当時の領邦も、身を守るために自分のお金を悪くするしかありませんでした。こうして悪鋳は国中に連鎖しました。
流されてくる悪いお金に、良いお金だけでは立ち向かえませんでした。連鎖の果てに、食べ物の値はおよそ8倍になります。
民衆は、悪鋳をした領主の人形を吊るして怒りました。

十七世紀のドイツで、民衆は悪鋳をおこなった領主の人形を吊るして怒りました。三十年戦争の初期、物価は狂い、信用は崩れたのです。この時代は、キッパー・ウント・ヴィッパーと呼ばれます。「秤をいじる者、貨幣を削る者」という意味です。
領主たちは戦費をまかなうため、良貨を集めては削り、銅を混ぜて、中身を減らした貨幣を作り直しました。これが悪鋳です。同じ量の銀からより多くの枚数を作れるので、差額が発行者の収入になります。しかし、短期には確実に儲かるこの行為は、長期には必ず物価を上げます。
良い貨幣を打つことが、支配者の正しさを語る言葉になることもありました。後二百六十年、皇帝ウァレリアヌスがペルシアに捕らわれ、ローマのライン戦線が揺らぎます。このとき、将ポストゥムスは兵から皇帝と称えられました。
彼はガリア、ゲルマニア、ブリタンニア、ヒスパニアに及ぶガリア帝国を打ち立てます。そして、ヒスパニアやブリタンニアの鉱山を握り、本国よりも良い貨幣を打ちました。貴金属の多いその銭の面に、彼は「ガリアの回復者」と刻んだのです。
ポストゥムスの支配も、安泰ではありませんでした。後二百六十八年の末には、彼の貨幣にも悪鋳のきざしが現れます。
やがて彼の兵たちは、略奪を求めました。ポストゥムスがこれを拒むと、兵たちは自分たちの手で彼を殺してしまいます。良い貨幣を打つことで正しさを語った支配者も、貨幣の劣化とともにその座を失いました。
なぜ、十七世紀のドイツでは、国中が悪鋳へといっせいに雪崩れ込んだのでしょう。千六百十八年に三十年戦争が始まると、戦費に追われる領邦にとって、悪鋳はもっとも手近な財源になりました。
きっかけは小額の貨幣からでした。ひとつの領邦が悪鋳に踏み切ると、悪い貨幣は隣国へ流れます。流された側も、身を守るために自分の貨幣を悪くするしかありません。劣化の進んだ小銭、境界だらけの帝国、そして戦争。悪鋳が連鎖するための条件は、すべて整っていたのです。
一六二〇年から二三年にかけて、主要な食べ物の値はおよそ八倍になりました。一六二一年には、小額の貨幣の平均が、額面の五分の一ほどの値打ちしかありませんでした。
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