ジャン二世の時代
身代金のための金貨に「フランク人の王」と刻まれた
この銘が、通貨フランの名になった
「フランク人の王」を意味する銘は通貨の名になりました。偉大な王は千年続く銀の制度を定め、遠い土地の印刷業者は紙の信用を支えます。
3分でわかる フランクの名を持つお金
横に送って見られます
ジャン二世の時代
身代金のための金貨に「フランク人の王」と刻まれた
この銘が、通貨フランの名になった
西ローマが倒れた後
フランクの王は、はじめ皇帝の顔を写した金貨を打った
やがて
皇帝の名が消え、作った場所と人の名が刻まれた
794年
カール大帝が、銀貨の数え方を決める布告を出した
794年
1ポンドの銀から、240枚の銀貨を打つと決めた
それまでは264枚
その後
この数え方は、1000年を超えてイギリスに生き残った
1729年
印刷屋フランクリンが、紙のお金の役割を説いた
その後
本物の木の葉の模様を刷り込み、偽物を防いだ
240枚
1ポンドの銀から打つ銀貨。12でも20でも割り切れる
あなたは紙のお金を刷る印刷屋です。偽物を作らせないために、どんな工夫をしますか?
選んでみてください
フランクリンは本物の木の葉を型に取り、細かな葉脈の模様を紙に刷り込みました。この模様が偽物作りを拒みました。
フランクリンは、紙そのものに知恵を込めました。若い印刷屋の腕が、紙の信用を支えたのです。
けれどその紙に、海の向こうから冷たい目が注がれはじめます。

通貨フランの名は、ある金貨の銘から生まれました。「フランコルム・レックス」——フランク人の王。ジャン二世の身代金のために打たれた金貨に刻まれた銘です。
この「フランク人の王」と名乗るより前、西ヨーロッパに王国を築いたフランクの王たちは、異なる貨幣を打っていました。西ローマが倒れたのち、彼らが作ったのは、コンスタンティノープルの皇帝の顔と称号を写した擬帝銘の金貨トリエンスでした。しかし、やがて皇帝の名は貨幣から消え、造幣地の名と造幣人の名が刻まれるようになります。
フランクの歴史には、もう一人の重要な王がいます。カール大帝です。西ヨーロッパで大きな金貨が姿を消し、人々が小さな銀貨を使っていた時代、彼はその銀貨の制度を整えました。七百九十四年、フランクフルトの教会会議で布告が出されます。
その内容は、一リーブル、すなわち一ポンドの銀から二百四十枚のドゥニエを打つ、というものでした。それまでは一ポンドを二百六十四枚で数えていましたが、これを二百四十に直したのです。十二でも二十でも割り切れる数でした。一リーブルは二十スー、一スーは十二ドゥニエ。この数え方は、ポンド・シリング・ペンスの体系として千年を超えてイギリスに生き残りました。布告には、純銀で打つこと、そしてカールの名を載せることも定められていました。
時代も場所も変わった紙の時代に、一人の若者が現れます。ベンジャミン・フランクリンという名の印刷業者です。千七百二十九年、彼は『紙の通貨の性質と必要についての小論』を著し、貨幣の足りない土地における紙のカネの役割を説きました。
フランクリンは論じるだけでなく、自ら植民地紙幣の印刷を請け負います。そして、偽造を防ぐために知恵を絞りました。本物の木の葉を型に取り、その細かな葉脈の模様を紙に刷り込む「ネイチャー・プリント」と呼ばれる工夫です。この紋様が偽物作りを拒み、若き印刷屋の腕が紙の信用を支えました。
けれどその紙に、海の向こうから、冷たい目が注がれはじめます。