NOMISMA SCHOLA
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南を向き、海を越えた王国の勘定

十二世紀後半のカスティーリャは、全面アラビア語銘の金貨を打ちました。南を向いたこの王国から、のちに新大陸の銀に課される税の仕組みが生まれます。

2026-09-10 葉山 満 言葉の由来

南を向いた王国の金貨

イベリア半島にあったカスティーリャは、南を向いた王国でした。日々の勘定は、ムラービトの金貨の名を継いだマラベディで数えられます。十二世紀の後半、王アルフォンソ八世はトレドで金マラベディを打ちましたが、その銘は全面アラビア語でした。

のちのスペインの中核となる国ですが、当時「中世スペイン」という一つの国はどこにも存在しません。例えば、東のアラゴンはイタリアの金を手本にしており、両王が結婚した後も、王冠も議会も造幣所も別々のままでした。

百五十の造幣所

カスティーリャの貨幣制度は、時とともに変わります。千三百五十年から千三百六十九年に在位したペドロ一世は、銀貨レアルを導入し、一レアルを三マラベディと定めました。

時代が下り、十五世紀のエンリケ四世の治世になると、鋳造の許可が乱発されます。ある年代記は、この時代の造幣所の数を百五十と伝えています。

婚姻が結んだ帳簿

国の形は、結婚によっても動きました。千四百九十六年、低地の君主の家のフィリップ美公が、カスティーリャの王女フアナと結婚します。イベリアの王家と低地の君主の家が、ここで結ばれたのです。

カスティーリャは、やがて新大陸の銀を手にする国になります。この婚姻は、低地と、後の銀の帝国スペインとを、同じ家の帳簿に載せることになりました。フィリップは千五百六年に急死しますが、それでも二つの家を結んだ結び目はほどけませんでした。

海の向こうの五分の一

新大陸の炉から生まれた銀の延べ棒には、初めから行き先の決まっている分がありました。王室の金庫に納めるための分です。スペイン王権は、掘り出した金銀や戦利品に「キント」、すなわち五分の一の税を課しました。海の向こうの王は、新大陸の土を一度も踏むことなく、その富の分け前を受け取り続けます。

この五分の一という税率は、一五〇四年の勅令で定められたものです。その起源は、中世のカスティーリャにさかのぼる古い取り決めでした。ただし、この仕組みは最初の徴収から揺らいでいます。コルテスの裁判の記録には、彼が精錬所と印章と鋳造所を持ちながら、王に五分の一を納めなかった、とあります。

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