太陽を刻んだ王の財政
敵からは『普遍の蜘蛛』と蔑まれ、味方からは『慎重王』と讃えられたルイ十一世。彼が戦わずに国を富ませた力の源泉は、税と軍、そして太陽を刻んだ一つの金貨にありました。

王の顔ではないしるし
千四百七十五年十一月二日、新しい金貨が生まれます。エキュ・ドール・オ・ソレイユ——太陽つきの金エキュです。盾の上に小さな太陽を戴くのが、名の由来でした。王はなぜ、自らの顔ではなく太陽を硬貨に刻んだのでしょうか。
それは、治世の初めに受け継いだ貨幣の価値が、切り下げられる局面もあったと伝わる流れを、良貨へと引き戻す意志の現れでした。同じ日には、庶民の市場のための白貨も打たれます。太陽は、回復した王権の輝きを宣言する印だったのです。
金で編まれた蜘蛛の巣
ルイ十一世は、敵であるブルゴーニュ側の年代記から『普遍の蜘蛛』と呼ばれました。陰謀の網を張り巡らす、という非難です。彼は強大なブルゴーニュ公、剛胆公シャルルと対立しましたが、自ら決戦することを好みませんでした。
千四百七十五年のピキニー条約では、上陸したイングランド王エドワード四世を、即金七万五千エキュと年金五万エキュで退かせます。さらにスイスへ補助金を出し、剛胆公にぶつけました。公は千四百七十七年、スイス軍との戦いでナンシーに斃れます。王は金で編んだ軍と買収で、最も富める公国を解体したのです。
国家の腱、タイユ税
その潤沢な資金は、どこから来たのでしょう。源泉は、父シャルル七世が千四百三十九年に恒久化した直接税タイユでした。ルイ十一世はこの税を常備軍と外交の財源に育て、治世を通じて課税をおよそ三倍に膨らませます。史料により、二倍とも四倍とも伝わる幅の中でのことです。
聖職者も貴族も特権都市も免れ、重荷は平民の肩にのみ残りました。この税収で、王は父から継いだ勅令隊を増強します。戦のためだけではありません。戦でも悪鋳でもなく、制度で金と商いを動かす。リヨンの大市を保護してジュネーヴの繁栄を移したように、彼の治世は制度で富を動かした治世でした。
太陽の遺産
千四百八十三年にルイ十一世が世を去ると、重税への反動が起こります。千四百八十四年、トゥールに集った三部会はタイユの引き下げを求め、常備の騎兵も二万四千から一万五千へと削られました。
けれど、父が遺した集権の財政も、良貨のエキュ・オ・ソレイユも、解体はされませんでした。この潤沢な王冠を元手に、跡を継いだシャルル八世は千四百九十四年、イタリアへ軍を進めます。そのとき数える金貨こそ、父が創った太陽の金貨でした。
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