ポトシほどの値打ちという言葉
「莫大な富」を意味する言葉になった、南米の銀山ポトシ。その銀は世界を巡り歴史を動かしましたが、産出した土地には富ではなく、おびただしい死が残されました。

富の山の麓で
莫大な富を言い表す、「ポトシほどの値打ちがある」という言葉さえ生まれました。この言葉が指すのは、南米アンデスの高地にあった、一つの銀の山です。
千五百四十五年、標高およそ四千八百二十四メートルの地で見つかった、円錐の形をしたその山は「セロ・リコ」、富の山と呼ばれました。その麓に、ポトシの町が興ります。
血とともに運び出された銀
十六世紀の後半、ポトシの一山だけで、世界で掘られる銀のおよそ六割を生み出しました。千五百五十四年に水銀を使う精錬の技が入ると、産出はさらに跳ね上がります。
けれど、その富は、おびただしい死の上にありました。「ミタ」と呼ばれる強制労働に、毎年およそ一万三千人が駆り出されます。落下や、肺の病、そして水銀の毒で、多くの人が倒れました。この地の先住民は、やがて人口の半ばを失ったのです。ヨーロッパの物価を動かした銀は、こうして地の底から、血とともに運び出されました。
海を渡るスペインドル
ポトシなどの銀山から掘り出された銀で、スペインの帝国は大型の銀貨を打ちます。八レアル銀貨、人々が「スペインドル」と呼んだ貨幣です。
この銀貨はカリブの海を渡り、大西洋の交易網に乗って、北米の植民地へ流れ込みました。英国の植民地でありながら、日々の支払いに使われるのはスペインの銀貨。自前の貨幣を持たない土地が、よその帝国の銀貨で満たされていく。ドルの物語は、この光景から始まります。
地球の裏側の胃袋へ
ポトシの銀が向かった先は、ヨーロッパや北米だけではありませんでした。はるか海を渡り、地球の反対側にあった巨大な胃袋、明の時代の中国へも吸い込まれていきます。
明の王朝は、自らが発行した紙幣に失敗し、人々が信用する銀での納税を定めました。一条鞭法です。この制度は、一五三〇年八月に大学士の桂蕚が上申したことから始まり、一五八〇年代に宰相張居正が全国へ広めました。
こうして世界じゅうの銀が、中国を目指します。一五四五年に開かれたポトシの銀も、メキシコのアカプルコから船に積まれ、一五七一年に建設されたマニラを経て、中国江南の海岸へたどり着きました。豊かになったのは、銀を産出した国ではなく、その銀が通り過ぎていった国々でした。


