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ポトシほどの値打ちという言葉

「莫大な富」を意味する言葉になった、南米の銀山ポトシ。その銀は世界を巡り歴史を動かしましたが、産出した土地には富ではなく、おびただしい死が残されました。

3分でわかる ポトシの銀

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  3. あなたならどうする?
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横に送って見られます

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1545年

南米の高い山で、銀の山が見つかった。名は「富の山」

およそ4800メートル

見つかった土地の高さ

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16世紀の後半

この山ひとつで、世界の銀のおよそ6割を生んだ

1571年、水銀を使う技で再び跳ね上がった

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同じころ

無理やり働かされた人が、毎年およそ1万3000人

落ちる、肺の病、水銀の毒で多くが倒れた

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やがて

この地の先住民は、人口の半ばを失った

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そのあと

銀は大きな銀貨になり、海を越えて北米へ流れた

人々は「スペインドル」と呼んだ

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そのころ

銀はマニラを経て、中国にも吸いこまれた

中国は税を銀で納めるよう定めていた

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ふり返ると

豊かになったのは、銀が通り過ぎていった国々だった

2数字で見る

6割

16世紀の後半、ポトシの一山が生んだ世界の銀の割合(およそ)

1万3000人

毎年、無理やり働かされるために駆り出された人の数(およそ)

3あなたならどうする?

「ポトシほどの値打ち」は、莫大な富を表す言葉になりました。では、いちばん豊かになったのは誰だと思いますか?

選んでみてください

銀を掘り出したポトシの土地

逆でした。その土地には富ではなく、おびただしい死が残されました。先住民は人口の半ばを失いました。

銀が通り過ぎていった国々

そうでした。銀はヨーロッパや北米、そしてマニラを経て中国へと流れ、通り過ぎた国々を潤しました。

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2026-08-19 葉山 満 言葉の由来
総論・世界 東方の貨幣文明/明の銀経済

富の山の麓で

莫大な富を言い表す、「ポトシほどの値打ちがある」という言葉さえ生まれました。この言葉が指すのは、南米アンデスの高地にあった、一つの銀の山です。

千五百四十五年、標高およそ四千八百メートルの地で見つかった、円錐の形をしたその山は「セロ・リコ」、富の山と呼ばれました。その麓に、ポトシの町が興ります。

血とともに運び出された銀

十六世紀の後半、ポトシの一山だけで、世界で掘られる銀のおよそ六割を生み出しました。千五百七十一年、水銀を使う精錬の技がアンデスに入ると、落ちこんでいた産出は、再び跳ね上がります。

けれど、その富は、おびただしい死の上にありました。「ミタ」と呼ばれる強制労働に、毎年およそ一万三千人が駆り出されます。落下や、肺の病、そして水銀の毒で、多くの人が倒れました。この地の先住民は、やがて人口の半ばを失ったのです。ヨーロッパの物価を動かした銀は、こうして地の底から、血とともに運び出されました。

海を渡るスペインドル

ポトシなどの銀山から掘り出された銀で、スペインの帝国は大型の銀貨を打ちます。八レアル銀貨、人々が「スペインドル」と呼んだ貨幣です。

この銀貨はカリブの海を渡り、大西洋の交易網に乗って、北米の植民地へ流れ込みました。英国の植民地でありながら、日々の支払いに使われるのはスペインの銀貨。自前の貨幣を持たない土地が、よその帝国の銀貨で満たされていく。ドルの物語は、この光景から始まります。

地球の裏側の胃袋へ

ポトシの銀が向かった先は、ヨーロッパや北米だけではありませんでした。はるか海を渡り、地球の反対側にあった巨大な胃袋、明の時代の中国へも吸い込まれていきます。

明の王朝は、自らが発行した紙幣に失敗し、人々が信用する銀での納税を定めました。一条鞭法です。この制度は、一五三〇年八月に大学士の桂蕚が上申したことから始まり、一五八〇年代に宰相張居正が全国へ広めました。

こうして世界じゅうの銀が、中国を目指します。一五四五年に開かれたポトシの銀も、メキシコのアカプルコから船に積まれ、一五七一年に建設されたマニラを経て、中国江南の海岸へたどり着きました。豊かになったのは、銀を産出した国ではなく、その銀が通り過ぎていった国々でした。

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