12世紀
海の向こうのイングランドから、羊の毛が届いた
海の向こうから届く羊毛を織り、フランドルの街は急成長しました。休みなく動く織機は糸だけではなく、銀を呼び寄せ、やがて大型の銀貨が打たれます。
3分でわかる 織機が呼び寄せた銀
横に送って見られます
12世紀
海の向こうのイングランドから、羊の毛が届いた
12世紀
フランドルの街で、織機が休みなく布を織った
ブルッヘ、ヘント、イーペルが大きく育った
12〜13世紀
布は南の大市へ。絹や香辛料と取り替えられた
年に6回
四つの町で開かれた大市
1275年頃
布が呼んだ銀で、大きな銀貨グロートが打たれた
お金の桁が一つ上がった
1339年
隣のブラバントと約束し、共通の型のお金を打った
1296年〜
その富は狙われた。フランス王の戦いで大市も細った
1384年
結婚を通じて、フランドルはブルゴーニュ公の手に渡った
8000 → 千リーヴル台
フランス王の守りの政策のあと、大市の税の収入
あなたはフランドルの街の織物職人です。布はよく売れて、銀がどんどん集まってきます。この富は、ずっと安心でしょうか?
選んでみてください
富は周りの権力者にも狙われました。フランス王はフランドルと戦い、その政策で大切な売り先だった大市の税収は8000リーヴル台から1000リーヴル台に落ちました。
そのとおりになりました。戦い、市場の衰え、交易の道の移り変わり。やがてフランドルそのものが、結婚を通じてブルゴーニュ公の手に渡ります。
織機は糸だけでなく、銀も、そして周りの視線も呼び寄せたのです。

十二世紀、低地地方の南部にあるフランドル伯領。ブルッヘ、ヘント、イーペルといった街々は、ヨーロッパでも指折りの都市密集地帯へと急成長しました。その原動力は、海の向こうから届くイングランド産の羊毛でした。
刈られた羊毛は海を渡り、フランドルの織機にかかります。織られた毛織物は、再び大陸をめぐっていきました。街々の工房では織機が休みなく動きつづけ、それは糸だけではなく、銀を呼び寄せたのです。
フランドルの毛織物は、北から南へと運ばれました。十二世紀から十三世紀にかけて、シャンパーニュ伯領の四つの町では年に六回の大市が開かれ、北のフランドル産毛織物と、南から来る絹や香辛料が交換されていました。市の終わりにはイタリアの両替商が台を並べ、代金の決済を行う。ここはヨーロッパの精算所でもあったのです。
フランドルの船はさらに南へも向かいます。大西洋にも地中海にも開かれた港、リスボン。この港には北からフランドルやイングランドの船が入り、南からは北アフリカの船が入港しました。フランドルは、広域にわたる交易網の一つの極でした。
商業で栄えたフランドルの富は、貨幣の姿を変えました。千二百七十五年頃、フランス王のグロ・トゥルノワに倣った大型銀貨グロートが打たれ、貨幣の桁が一つ上がります。さらに千三百三十九年には、隣接するブラバントと貨幣の協定を結び、共通の型の貨幣を打つようにもなりました。
しかし、その富は周辺の権力者の標的ともなります。フランスのフィリップ四世がフランドルと戦った際の戦費は、千二百九十六年から始まった悪鋳の一因でした。また、フィリップ四世の保護主義は、フランドル産毛織物の重要な市場であったシャンパーニュの大市を直撃し、その税収を八千リーヴル台から千リーヴル台へと落としました。
交易路が内陸から海路へと移り、状況が変化するなか、フランドルそのものも大きな転機を迎えます。千三百八十四年、フィリップ豪胆公が婚姻を通じてこの地を手にしました。これをもって、ブルゴーニュ公家による低地の統合が始まったのです。
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