794年
カール大帝が、新しい銀の貨幣を使うよう定めた
千九百七十一年、イギリスで千年をこえて続いた貨幣の数え方が終わりました。一ポンドが二十シリング、一シリングが十二ペンス。この入り組んだ勘定の起源は、海の向こうの大陸にありました。
3分でわかる12と20で数えたお金
横に送って見られます
794年
カール大帝が、新しい銀の貨幣を使うよう定めた
794年
1ポンドの銀から打つ数を、240枚に直した
264 → 240枚
240は、12でも20でも割り切れる数
12枚で一ソルドゥス、20ソルドゥスで1ポンドと数えた
以後1200年
この三段の数え方が、ヨーロッパの帳簿を支配した
1792年4月
アメリカは古い物差しを選ばず、1ドルを100セントにした
指を折って数えられるお金
1971年まで
イギリスでは1ポンドが20シリング、一シリングが12ペンス
240ペンス
1ポンドの中身
1971年2月15日
1ポンドは百新ペンスに。1000年をこえた数え方が終わった
240ペンス
1971年2月15日まで、1ポンドはこれだけのペンスだった
あなたが新しい国のお金の数え方を決めることになりました。どちらにしますか?
選んでみてください
カール大帝が選んだ道です。12枚で一ソルドゥス、20ソルドゥスで1ポンド。この数え方は1200年、ヨーロッパの帳簿を支配しました。
1792年、生まれたばかりのアメリカが選んだ道です。1ドルは100セント。お金の数え方にまで、独立の思想が刻まれました。
イギリスも1971年2月15日、1ポンドを百新ペンスに変えました。

千九百七十一年二月十五日、イギリスの貨幣が変わりました。一ポンドは百新ペンスです。この日から、十二進みと二十進みの混ざる勘定は終わりを告げます。
それまでは、一ポンドは二十シリング、一シリングは十二ペンスで、あわせて二百四十ペンスでした。ポンドは重さと勘定の単位であり、人々が手のひらに載せたのはペニーでした。この勘定は、オファのペニーとともにイングランドに根づいたものです。
この数え方の骨組みは、西ヨーロッパでフランク王カール大帝が整えた制度に由来します。
七九四年、フランクフルトの教会会議で、新しい貨幣の使用が布告されました。純銀で打つこと、そしてカールの名を載せることです。改革の柱は、一ポンドの純銀から作る貨幣の数を、それまでの二百六十四枚から二百四十枚に直したことでした。
二百四十は、十二でも二十でも割り切れる数です。この改革によって、十二枚で一ソルドゥス、二十ソルドゥスで一ポンドと数える体系が生まれました。
千年以上の時が流れた後、この古い世界の物差しを選ばなかった国があります。アメリカ合衆国です。
千七百九十二年四月に成立した鋳貨法は、貨幣単位をドルと定め、その刻み方に十進法を採り入れました。一ドルは百セントです。誰もが、指を折って数えられる貨幣でした。
それは、海の向こうのイギリスが使うシリングとペンスの入り組んだ勘定でも、暮らしを支えてきたスペインドルの八つに割る勘定でもない、新しい国のための物差しでした。カネの数え方にまで、独立の思想が刻まれたのです。
カール大帝が定めたリブラ、ソルド、デナロの三段の数え方は、以後千二百年、ヨーロッパの帳簿を支配しました。
イギリスのポンド・シリング・ペンスも、このカロリングの体系に倣った同じ骨組みです。この数え方はイングランドに千年をこえて生き残り、千九百七十一年二月十五日にその役目を終えました。
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