1575年
反乱中のホラント州が、獅子の銀貨を打ちはじめた
品位が低いゆえに故郷で嫌われた一枚の銀貨がありました。けれど、居場所がなかったからこそ旅に出て、東地中海から北米まで、世界にその名を刻みます。獅子を刻んだ銀貨の長い旅路です。
3分でわかる 旅に出た獅子の銀貨
横に送って見られます
1575年
反乱中のホラント州が、獅子の銀貨を打ちはじめた
王の顔も名もない。刻まれたのは獅子と聖句だった
1581年
王を退けると布告するより、銀貨のほうが6年早かった
銀の割合は低め。戦争の費用をまかなう銀貨だった
およそ4分の3
国内では嫌われ、外への支払いに回された
17世紀
東地中海の取引で、決済の定番になった
獅子が犬に見え、アラビア語では「犬の父」と呼ばれた
ルーマニアのレウ、ブルガリアのレフは、この獅子の名から
北米にも渡り、英語ではライオン・ダラーと呼ばれた
物差しになったのは、スペインの8レアル
4分の3
獅子の銀貨の品位(およそ)。同じ土地の別の銀貨より低かった
27.7グラム
獅子の銀貨の重さ(およそ)
あなたは低地の商人です。財布には、良い銀貨と、銀の少ない獅子の銀貨があります。獅子の銀貨は、どちらの支払いに使いますか?
選んでみてください
良い銀貨を選べるなら、わざわざ悪い銀貨を受け取りたい人はいません。獅子の銀貨は、国内では嫌われました。
実際に、そうなりました。国内で居場所がなかったからこそ、獅子の銀貨は船に積まれ、東地中海から北米まで旅をしたのです。
獅子は名を運び、スペインの8レアルは物差しになりました。名の通り道と、基準の役割は別のものです。

一枚の銀貨があります。表には獅子の盾を構える騎士、裏には後ろ足で立ち上がる獅子。けれど、どこを探しても王の肖像がありません。王の名すら、刻まれていないのです。代わりに刻まれたのは、主に信頼する者は、動かされない、という聖句でした。
千五百七十五年、反乱のさなかにあったホラント州が、このライオンダールデル、獅子のダールデルを打ち始めます。王の顔ではなく、聖句と獅子で立つ銀貨です。州が王の廃位を布告するのは千五百八十一年のこと。貨幣の上では、この国は六年も早く、王なしで立っていました。
ただし、この獅子の銀貨、生まれは高貴ではありませんでした。量目はおよそ二十七・七グラム、品位はおよそ四分の三。同じ低地で流通していたリクスダールデルの品位、千分の八百八十五に比べて、明らかに低いものでした。これは、戦費をまかなうための銀貨だったのです。
案の定、国内では嫌われます。良い銀貨を選べるなら、わざわざ品位の低い悪い銀貨を手元に置きたくはないものです。国内での支払いを避けられたこの銀貨は、だからこそ、外への支払いに回されることになりました。
悪貨は、家に居場所がないゆえに、世界を歩きます。低地の港から、獅子の銀貨を積んだ船が次々と出ていきました。
十七世紀の東地中海。オスマン帝国方面とのレヴァント貿易で、この銀貨は決済の定席を得ます。低地の船が東の港に運んだ銀貨は、そのまま現地のカネとして根を下ろしたのです。オスマン帝国ではエセディ・グルシュと呼ばれました。いっぽう、アラビア語圏ではアブー・キャルブ、犬の父という名で呼ばれました。銀貨の獅子が、犬に見えたのでした。
獅子の名は、国の通貨にまでなりました。ルーマニアとモルドバのレウ、ブルガリアのレフ。どちらも、この銀貨の獅子に名を負う通貨として、今も生きています。
獅子の銀貨は、西へも渡りました。大西洋の向こう、低地の人々が築いた植民地ニューアムステルダム、のちのニューヨーク周辺で流通したのです。
英語ではライオン・ダラーと呼ばれました。ダールデルという言葉が、英語の口の上でダラーへと変わっていきます。ただし、この銀貨がドルの祖であると単線で語ってはなりません。北アメリカで基準となった銀貨は、あくまでスペインの八レアルでした。
名の通り道と、基準貨の役割は、別のものです。獅子は名を運び、八レアルは物差しになったのです。