1640年
フランスで、まん丸の金貨ルイドールが生まれた
千六百四十年に生まれた金貨ルイドール。機械で打った完全な円形には、縁を削って金を盗めば一目で分かるようにする狙いがありました。一枚の貨幣が宿す、精度と美、そして富が生まれる裏側を辿ります。
3分でわかる 機械で打つ金貨ルイドール
横に送って見られます
1640年
フランスで、まん丸の金貨ルイドールが生まれた
それまで
手で打った金貨は形がいびつ。縁を削って金を盗まれた
機械で打つと、形も重さもそろい、削ればすぐ分かる
縁の粒の列と、縁の刻みでも見破れる
王の横顔は、彫刻のように美しく彫られた
1672年
ヴァランが、造幣機械の唯一の親方になった
1661年3月9日
同じころ、宰相マザランは莫大な財を遺して亡くなった
約3500万リーヴル
1658年
庶民の銅貨は、1月ほどで額面が3分の1に痩せた
1661年9月5日
財務卿フーケが捕らえられ、一生閉じこめられた
22カラット
ルイドールの金の純度
1950万リーヴル
財務卿フーケの財産。その裏には負債もあった
あなたは昔のパリの両替商。手で打った古い金貨が持ち込まれました。形はいびつで、縁がはっきりしません。どうしますか?
選んでみてください
形のいびつな古い金貨は、縁を少しずつ削って金をかすめ取る盗みが絶えませんでした。削られていても、気づきにくかったのです。
その疑いを、見て確かめやすくしたのが、機械で打つルイドールでした。まん丸で重さがそろい、縁に粒と刻みがある。少しでも削れば、ひと目で分かります。
機械で打つ金貨は、やがてこの国の標準になりました。

一枚の金貨から始めます。千六百四十年のフランスで、国王ルイ十三世の名を冠して生まれたルイドールです。手に取るとわかる、その完全な円形。縁までそろった形には、貨幣の信用を守るための切実な理由がありました。
かつて鎚で打たれた古い貨幣は、形がいびつで、縁が定まりませんでした。そのため、縁を少しずつ削って金属をかすめ取る「rognage」という盗みが絶えなかったのです。
リエージュ出身の彫刻家ジャン・ヴァランがパリ造幣所に導入した圧印機は、この問題に三つの仕組みで備えます。ひとつは、完全な円形と均一な重さです。少しでも削れば、欠けとして一目でわかります。ふたつめは、縁を囲むように打たれた細かな粒の列。削ればこの粒が消え、細工が露見します。みっつめは、縁そのものへの刻みでした。
日本の慶長小判が極印で品位を示したのに対し、フランスは機械の精度で改竄を封じようとしました。同じ信用の問題に対する、異なる答えでした。
この改革の主役は、精度だけではありません。美です。財務総監ビュリヨンが主導した貨幣の改革のもとで、ヴァランは金貨ルイドールと銀貨エキュ・ブランの型を彫りました。
彼が彫ったルイ十三世の横顔は、それまでの貨幣にはなかった芸術的な洗練を宿していました。ヴァランの手のなかで、税と戦費の道具であった貨幣は、王を讃える一個の彫刻へと変わります。彼はのちに、型を彫る職人でありながら、王立のアカデミーに名を連ねる芸術家として遇されました。
機械で打つ金貨は、やがてこの国の標準になります。ヴァランが造幣機械の唯一の親方となったのは、千六百七十二年のことです。では、この二十二カラットの金貨を満たす金は、どこから来たのでしょう。
ルイドールが生まれた時代、ある枢機卿が莫大な富を築いています。一六六一年三月九日に世を去ったマザランです。その遺産は約三千五百万リーヴルにのぼり、十七世紀で最大の私財とされます。
同じころ、貧しい人々の手のなかにあった銅貨リヤールは、その価値を切り下げられていました。一六五八年には、額面が三ドゥニエから、わずか一月ほどで一ドゥニエへと、三分の一に痩せてしまったのです。
枢機卿の富は一切裁かれませんでしたが、敗者の役を負わされた人物がいます。財務卿フーケです。彼の財産は千九百五十万リーヴルに膨らんでいましたが、裏には千六百万リーヴルの負債があったとされます。
一六六一年九月五日、銃士ダルタニャンがフーケを捕らえました。裁判は追放と決まりますが、王は恩赦の権を使い、刑をより重い終身の幽閉へと変えました。
前借りの装置は名を変えて生き残り、太陽王の親政が始まります。
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