安定した貨幣と、破産した王国
ルイ15世の時代、フランスの金属貨幣は半世紀にわたり安定し、貿易は伸びました。しかし、同じ世紀の果てに国は破産します。通貨の価値が動かないのに、なぜ財政は崩壊に向かったのでしょうか。

ジョン・ローの泡が灰になったあと、フランスは紙を捨て、金属へ帰りました。手のなかのエキュ銀貨は、二度と紙を信じまいという記憶の上に立つ金属だった、と素材は語ります。
半世紀動かなかった価値
一七二六年の改革で、金属貨幣の平価は固定されます。一リーヴルは純銀四・五グラムあまり。ルイドール金貨は二十リーヴル、銀のエキュは六リーヴルと定められました。ルイドールは一七四〇年に二十四リーヴルへ上がりますが、これが革命前、最後の平価変更となります。
以後およそ半世紀あまり、通貨はほとんど動きません。ルイ十四世の常習だった悪鋳は、ここで止みました。通貨が静まると、海上貿易は一七一六年の八千万リーヴルから、一七四八年の三億八百万リーヴルへ伸びます。しかし、この一世紀の果てに、国は破産します。
戦争が遺した負債
原因は貨幣の減価ではなく、戦争のたびに積んだ、借金でした。七年戦争の戦費はおよそ十八億リーヴル。その前のオーストリア継承戦争にも、さらに十億リーヴルほどを費やしています。
海の戦いは惨めで、開戦の前後、イギリス艦隊はフランスの商船を三百隻あまり拿捕します。そして一七六三年の講和で、フランスは北のカナダをイギリスに、インドの拠点の多くをも失いました。帝国を失い、負債だけが残ったのです。通貨はいじれない、では戦費はどこから来たか。答えは、借入でした。
課税を阻んだ壁
借金を返す正道は、課税です。けれど、フランスの税は根から歪んでいました。人口の九割八分を占める第三身分がほとんどの税を払い、聖職者と貴族は主だった直接税を免れていたのです。
一七四九年、財務総監マショーが、この歪みに手をつけます。純収益の二十分の一の税を、初めて聖職者と貴族にも及ぼそうとしました。しかしパリ高等法院はこれを否決し、王は翌年、聖職者への課税を取り下げます。特権に課税する試みは、特権の抵抗でそのつど潰されました。
原因と象徴
ルイ十五世の治世は、愛人ポンパドゥール夫人の奢りで語られがちです。しかし、破産の主な原因は宮廷の華ではなく、七年戦争の敗北、その戦費と借金でした。奢りは、原因ではなく象徴なのです。
一七七四年に王が没したとき、孫のルイ十六世が継いだのは、破局の瀬戸際に立つ王国でした。動かぬ通貨、免税の特権、戦争の借金。この三つが、次の代へ渡ります。
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