1726年
お金の値打ちを固定した。銀のエキュは6リーヴル
1リーヴルは純銀4.5グラムあまり
ルイ15世の時代、フランスの金属貨幣は半世紀にわたり安定し、貿易は伸びました。しかし、同じ世紀の果てに国は破産します。通貨の価値が動かないのに、なぜ財政は崩壊に向かったのでしょうか。
3分でわかる 安定した貨幣と、破産した王国
横に送って見られます
1726年
お金の値打ちを固定した。銀のエキュは6リーヴル
1リーヴルは純銀4.5グラムあまり
その後 半世紀あまり
通貨はほとんど動かず、中身を減らす悪鋳も止んだ
1716年 → 1748年
お金が落ち着くと、海の貿易が大きく伸びた
8000万 → 3億800万リーヴル
7年戦争
戦争のたびに、国は大きな借金を積んだ
およそ18億リーヴル
7年戦争の戦費
1763年
講和で、カナダとインドの拠点の多くを失った
帝国を失い、借金だけが残った
当時
税を払うのは第三身分。聖職者と貴族は主な税を免れた
第三身分は人口の9割八分
1749年〜
特権の人にも課税しようとしたが、抵抗で削られた
1774年
孫のルイ16世が、破局の瀬戸際の王国を継いだ
3億800万リーヴル
1748年の海の貿易。お金が落ち着くと伸びた
およそ18億リーヴル
7年戦争の戦費。その前の戦争にも10億リーヴルほど
あなたは王の財務係です。通貨はいじれません。戦争のお金が要ります。どうしますか?
選んでみてください
実際の答えは借入でした。戦争のたびに借金を積み、帝国を失っても、借金だけが残りました。
1749年、聖職者と貴族にも20分の1の税をかけようとしました。でも高等法院が退け、王も翌年、聖職者への課税を取り下げます。
破産の主な原因は宮廷の華やかさではなく、戦争の敗北と借金でした。動かぬ通貨、免税の特権、戦争の借金が次の代へ渡ります。

ジョン・ローの泡が灰になったあと、フランスは紙を捨て、金属へ帰りました。手のなかのエキュ銀貨は、二度と紙を信じまいという記憶の上に立つ金属だった、と素材は語ります。
一七二六年の改革で、金属貨幣の平価は固定されます。一リーヴルは純銀四・五グラムあまり。銀のエキュは六リーヴルと定められました。
以後およそ半世紀あまり、通貨はほとんど動きません。ルイ十四世の常習だった悪鋳は、ここで止みました。通貨が静まると、海上貿易は一七一六年の八千万リーヴルから、一七四八年の三億八百万リーヴルへ伸びます。しかし、この一世紀の果てに、国は破産します。
原因は貨幣の減価ではなく、戦争のたびに積んだ、借金でした。七年戦争の戦費はおよそ十八億リーヴル。その前のオーストリア継承戦争にも、さらに十億リーヴルほどを費やしています。
海の戦いは惨めで、開戦の前後、イギリス艦隊はフランスの商船を三百隻あまり拿捕します。そして一七六三年の講和で、フランスは北のカナダをイギリスに、インドの拠点の多くをも失いました。帝国を失い、負債だけが残ったのです。通貨はいじれない、では戦費はどこから来たか。答えは、借入でした。
借金を返す正道は、課税です。けれど、フランスの税は根から歪んでいました。人口の九割八分を占める第三身分がほとんどの税を払い、聖職者と貴族は主だった直接税を免れていたのです。
一七四九年、財務総監マショーが、この歪みに手をつけます。純収益の二十分の一の税を、初めて聖職者と貴族にも及ぼそうとしました。しかしパリ高等法院は、まずこれを退け、王に迫られて、ようやく登録します。王は翌年、聖職者への課税を取り下げます。特権に課税する試みは、特権の抵抗でそのつど削られてゆきました。
ルイ十五世の治世は、愛人ポンパドゥール夫人の奢りで語られがちです。しかし、破産の主な原因は宮廷の華ではなく、七年戦争の敗北、その戦費と借金でした。奢りは、原因ではなく象徴なのです。
一七七四年に王が没したとき、孫のルイ十六世が継いだのは、破局の瀬戸際に立つ王国でした。動かぬ通貨、免税の特権、戦争の借金。この三つが、次の代へ渡ります。