国の借金が投資になるとき
千五百三十一年に建った取引所では、君主への融資の相場が決まりました。王が個人で借りていた借金は、いつから投資の対象になったのでしょう。その鍵は公債という仕組みにあります。

あらゆる商人のための場所で
千五百三十一年、アントウェルペンに常設の取引所が建ちます。掲げられた献辞には、あらゆる国、あらゆる言語の商人のために、という心が込められていたと伝えられています。十六世紀半ば、アルプス以北で最大級の都市となったこの街で、人々は商品や為替の手形を取引しました。そして、もう一つ。公債です。君主への融資の相場さえ、この建物の中で決まっていました。
ただし、ここで株式が取引されたわけではありません。株式会社という仕組みが生まれるのは、まだ先の千六百二年のことです。
光の財源
公債は、王の財布の中身でもありました。フランスの王、フランソワ一世は、十五年ほどのあいだに七つもの城館を建て、あるいは改めます。フォンテーヌブローの中世の狩りの館が、千五百二十八年ごろからルネサンスの宮殿へと姿を変え、イタリアから画家たちが招かれました。レオナルド・ダ・ヴィンチも招かれ、その手になる一枚が、この国へ渡ってきます。
壁には王の紋章である火蜥蜴、サラマンドルが刻まれ、その光は驚くほどの富を物語ります。けれど、この財源は税や売官と並んで、公債でした。華やかな文化は、その底で、庶民の負担に支えられていたのです。
踏み倒されない約束
なぜ、国の借金が取引の対象になったのでしょう。それは、借金の仕組みそのものが変わったからです。かつて、借金は王が個人としてするもので、踏み倒されることもありました。しかし、議会が返済を保証するようになると、事態は一変します。
政府が広く民間から借りるための証書である公債は、返済が約束された国の借金です。この制度化された約束こそが、国の借金を投資の対象へと変え、金利を下げました。貨幣の歴史から見れば、これは大きな折り返し点にあたります。
信用を束ねる仕組みへ
公債という仕組みは、やがて銀行のあり方にも関わっていきます。ポルトガルでは、紙幣の発行が次第に一つの銀行へ束ねられていきました。ポルトガル銀行です。この銀行は、一八四六年十一月十九日に勅許によって設立されます。リスボン銀行と、公債の引受を専門とする会社との合併から生まれました。
複数の銀行が紙幣を出していると、受け取る側は発行元の信用をいちいち確かめねばなりません。発行を一本にすることは、信用を一本にすることでした。ポルトガル銀行が紙幣の発行を独占するのは、他の銀行と分け合う状態が続いたのち、一八九一年七月九日の政令を待つことになります。


