1531年
アントウェルペンに、いつも開いている取引所が建った
あらゆる国、あらゆる言葉の商人のための場所
千五百三十一年に建った取引所では、君主への融資の相場が決まりました。王が個人で借りていた借金は、いつから投資の対象になったのでしょう。その鍵は公債という仕組みにあります。
3分でわかる 公債
横に送って見られます
1531年
アントウェルペンに、いつも開いている取引所が建った
あらゆる国、あらゆる言葉の商人のための場所
16世紀半ば
商品や手形と並んで、王に貸すお金の相場が決まった
株の売り買いは、まだない(株式会社は1602年)
フランソワ一世のころ
フランスの王は、城を次々に建てたり改めたりした
15年ほどで七つ
城館の数
同じころ
その財源は税や役職の売り買い、そして国の借金だった
華やかな文化の底で、庶民が負担を支えた
昔
借金は王が1人でするもので、踏み倒されることもあった
やがて
議会が返すことを約束すると、国の借金は投資の対象に
返す約束のある国の借金=公債。金利も下がった
1846年11月19日
ポルトガル銀行ができた。お札を出す役を1本にまとめた
お札の発行をひとり占めするのは1891年7月9日から
あなたは商人で、手元にお金が余っています。2人から「貸してほしい」と頼まれました。どちらに貸しますか?
選んでみてください
昔の王の借金は、王が1人でするもので、踏み倒されることもありました。相手が偉くても、返ってくるとは限らなかったのです。
これが公債です。議会が返済を約束したことで、国の借金は安心して持てる投資になり、金利も下がりました。
借りる人が同じ国でも、「返す約束」の形が変わるだけで、借金は売り買いできる品物に変わりました。

千五百三十一年、アントウェルペンに常設の取引所が建ちます。掲げられた献辞には、あらゆる国、あらゆる言語の商人のために、という心が込められていたと伝えられています。十六世紀半ば、アルプス以北で最大級の都市となったこの街で、人々は商品や為替の手形を取引しました。そして、もう一つ。公債です。君主への融資の相場さえ、この建物の中で決まっていました。
ただし、ここで株式が取引されたわけではありません。株式会社という仕組みが生まれるのは、まだ先の千六百二年のことです。
公債は、王の財布の中身でもありました。フランスの王、フランソワ一世は、十五年ほどのあいだに七つもの城館を建て、あるいは改めます。フォンテーヌブローの中世の狩りの館が、千五百二十八年ごろからルネサンスの宮殿へと姿を変え、イタリアから画家たちが招かれました。レオナルド・ダ・ヴィンチも招かれ、その手になる一枚が、この国へ渡ってきます。
壁には王の紋章である火蜥蜴、サラマンドルが刻まれ、その光は驚くほどの富を物語ります。けれど、この財源は税や売官と並んで、公債でした。華やかな文化は、その底で、庶民の負担に支えられていたのです。
なぜ、国の借金が取引の対象になったのでしょう。それは、借金の仕組みそのものが変わったからです。かつて、借金は王が個人としてするもので、踏み倒されることもありました。しかし、議会が返済を保証するようになると、事態は一変します。
政府が広く民間から借りるための証書である公債は、返済が約束された国の借金です。この制度化された約束こそが、国の借金を投資の対象へと変え、金利を下げました。貨幣の歴史から見れば、これは大きな折り返し点にあたります。
公債という仕組みは、やがて銀行のあり方にも関わっていきます。ポルトガルでは、紙幣の発行が次第に一つの銀行へ束ねられていきました。ポルトガル銀行です。この銀行は、一八四六年十一月十九日に勅許によって設立されます。リスボン銀行と、公債の引受を専門とする会社との合併から生まれました。
複数の銀行が紙幣を出していると、受け取る側は発行元の信用をいちいち確かめねばなりません。発行を一本にすることは、信用を一本にすることでした。ポルトガル銀行が紙幣の発行を独占するのは、他の銀行と分け合う状態が続いたのち、一八九一年七月九日の政令を待つことになります。
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