紙で富を創り、紙に焼かれた王国
決闘で人を刺し、死刑を宣された賭博師が、フランスの財政を握りました。紙幣は増やせば経済を刺激する。その考えは国を熱狂させ、やがて長い後遺症を残します。

熱狂のカンカンポワ街
パリのカンカンポワ街は、もとは割引の国債を商う細い路地の露天市でした。千七百十九年、ここが熱狂の中心になります。額面五百リーヴルの株が、七月に千、八月に三千六百、九月には五千三百五十リーヴルへと駆けあがりました。頂点は、およそ一万リーヴル。二十倍です。
このとき一夜で富を得た者を指してミリオネールという言葉が生まれた、と語られますが、初出は確かめられていません。召使いや御者が成り上がったという話も、典拠は無く、同時代の記録にはその例は見つかりません。けれど、そこにあった富は確かに紙で数える富でした。
賭博師の大きな回路
仕掛け人はスコットランド生まれのジョン・ローでした。確率に通じた腕ききの賭博師で、ロンドンでは決闘で人を刺し、死刑を宣されて大陸へ逃れた過去を持ちます。彼は、紙幣は金属より優れており、増やせば経済を刺激すると説きました。
戦費で財政が潰れたフランスで、摂政オルレアン公はローに賭けます。千七百十六年、バンク・ジェネラルが設けられ、二年後には国の後ろ盾を得た王立銀行となりました。銀行券は税の納付にも使えます。ローはさらに千七百十七年、ミシシッピ川流域の独占を狙う西方会社を興します。この仕組みの心臓は、紙くず同然の国債で会社の株を買える、債務の株式化にありました。国の借金を株に変え、それを銀行券で支える。会社はタバコの専売から徴税までを呑み込み、植民地の商いと国の財布を丸ごと握ったのです。
実体を離れた紙の富
会社の富の土台は、植民地ではありませんでした。千七百十八年の暮れまでに海へ出た船は、十二隻です。富の源泉は、王への貸しと税でした。湿地の多いルイジアナという実体と、紙の上の富との差は、開くばかりです。創られた富であると同時に、焼かれる運命の富でした。
崩壊の理屈は、単純でした。兌換できる金属の量を、はるかに超えて紙を刷ったのです。千七百二十年五月末の銀行券の残高は二十二億三千五百十万リーヴル。対して、同時代の推計で国内の正貨はおよそ十二億でした。
崩れた信用、残されたもの
千七百二十年五月二十一日、国は券と株の値を月ごとに下げていく令を出します。国みずから紙の減価を認めたにひとしく、信用は崩れました。人々は金貨を求めて銀行に殺到し、押し合いで倒れた者も出ます。同年一月には財務総監に就いていたローは、十二月の初めに国外へ去りました。
ローの泡がはじけたあと、フランスには長い後遺症が残ります。紙で正貨を置き換える試みは長く悪評のなかにありました。千七百二十六年、通貨は金属へ帰ります。ルイドールとエキュの重さが固く定められ、その安定は革命まで、およそ六十から七十年続きました。


