建国のころ
合衆国でも、人々が使ったのはよその国の銀貨だった
メキシコの造幣所で打たれたスペインドル
合衆国が生まれたあとも、よその国の銀貨が法定通貨であり続けました。ある国の貨幣のあり方を定め、変える力を持つ法律、それが鋳貨法です。
3分でわかる 鋳貨法
横に送って見られます
建国のころ
合衆国でも、人々が使ったのはよその国の銀貨だった
メキシコの造幣所で打たれたスペインドル
1792年4月
法律で、自分の国のドルの基準を決めた
1ドルは100セント
1792年
1ドルの銀の重さまで、法律に書き込んだ
371グレインと4分の1
建国から
よその国の銀貨が、長く正式なお金のままだった
約70年
1857年
新しい法律で、スペインドルの地位がやっと消えた
1873年
法律の改定で、銀のドルが作る品目から静かに消えた
のちに「1873年の犯罪」と呼ばれた
1916年4月8日
戦争のさなか、オスマン帝国がお金の決まりを1本にした
1792年
役人が銀の割合をこっそり落とせば、死刑と定めた
371と4分の1グレイン
1792年の法律が書いた1ドルの銀の重さ
約70年
スペインドルが合衆国の正式なお金だった期間
あなたは生まれたばかりの国の議員です。自分の国のドルの重さを、何に合わせて決めますか?
選んでみてください
実際にそうしました。1792年の法律は、ドルの基準を「現に流通するスペインのミルド・ドル」に置きました。
市場が選んだお金は、国のお金より先にありました。新しい共和国のお金は、よその帝国の銀貨の子として生まれたのです。
法律はお金を生み、退かせ、作り直す物差しでした。

驚くべきことに、合衆国が生まれたあとも、スペインドルは法定通貨であり続けました。人々の日々のカネになったのは、メキシコの造幣所で打たれた銀貨でした。
国家の貨幣より先に、市場の選んだ貨幣があったのです。そして独立ののち、千七百九十二年四月の鋳貨法は、自国のドルの基準を「現に流通するスペインのミルド・ドル」に置きました。新しい共和国の貨幣は、よその帝国の銀貨の子として生まれたことになります。この法律は貨幣単位をドルと定め、一ドルは百セントの十進法を採り、その重さを銀三百七十一グレインと四分の一グレインと書き込みました。
スペインドルが合衆国の法定通貨であり続けた期間は、建国から約七十年にも及びます。その地位がようやく失われるのは、千八百五十七年の鋳貨法によってでした。
法律は、貨幣の運命を変える力も持っています。千八百七十三年の鋳貨法の改定は、標準銀ドルを鋳造の品目から静かに外しました。この条文は、のちに「一八七三年の犯罪」と呼び直されることになります。
法律が動くのは、平時だけではありません。戦争のさなかの千九百十六年四月八日、オスマン帝国は統一鋳貨法を公布しました。これは、ばらばらになっていた貨幣の体系を一本に括り直す法律です。
市場が紙で溺れかけているさなかに、あえて金属の秩序を整えるのは奇妙に見えるかもしれません。けれども、混乱の時こそ、帳簿の物差しだけは正しておきたい。それは財政の官僚たちの、職人的な意地でもありました。この法律はまた、千八百四十四年の矯正より前の鋳貨をすべて廃貨としました。
貨幣の作り方と規格を定める鋳貨法には、厳しい一面もあります。千七百九十二年の合衆国の鋳貨法の条文には、ある罰則が書き込まれていました。造幣局の役人が品位をひそかに落とせば死刑、というものです。
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