はじめ
ローマの銀貨は、ほぼ純銀だった
およそ4グラム
銀貨デナリウス1枚の重さ
はじめはほぼ純銀だったローマの銀貨は、やがて銀の割合が二パーセントまで落ち、芯の青銅を隠す薄皮になりました。貨幣に含まれる純銀の重さ。この一つの数が変わるとき、通貨への信もまた変わります。
3分でわかる 純銀
横に送って見られます
はじめ
ローマの銀貨は、ほぼ純銀だった
およそ4グラム
銀貨デナリウス1枚の重さ
後64年〜
皇帝ネロが銀貨を軽くした。銀の割合は下がる一方に
後215年
新しい銀貨は「2枚分」を名乗った。でも銀は1.5枚分
額面は二デナリウス
ガリエヌスの世
銀はほとんど消え、青銅に薄い銀をかぶせただけに
およそ2パーセント
銀の割合
その間
人々は中身を見抜き、値を吊り上げた。お金への信が壊れた
良い貨幣はしまい込まれた
紀元前550年ごろ
リディアの王が、純金と純銀の貨幣を別々に造った
自然の金と銀の混ざりものを、人の手で分けた
794年
カール大帝が「純銀で打ち、自分の名を載せる」と決めた
794年
1ポンドの純銀から、240枚の銀貨を打つ
264 → 240枚
12でも20でも割り切れる数に直した
お金の本当の値打ちは、重さと純度の掛け算で決まる
2パーセント
ガリエヌスの世の、ローマ銀貨の銀の割合(およそ)。はじめはほぼ純銀だった
7.8 → 6.5グラム
金貨アウレウスも痩せた
ローマの市場で、あなたは品物を売っています。客が「二デナリウス」を名乗る新しい銀貨で払おうとしました。どうしますか?
選んでみてください
その銀貨に入っていた銀は、1.5デナリウス分しかありませんでした。名乗る値と中身の間に、差があったのです。
実際に、売り手も買い手も低い中身を見抜いて、値を吊り上げました。壊れたのは、お金を持つすべての人の「お金への信」でした。
額面がいくらでも、名前が何であっても、1枚の貨幣の値打ちは重さと純度の掛け算で決まります。

ローマの銀貨デナリウスは、はじめほぼ純銀で、目方はおよそ四グラムでした。しかし後六十四年、皇帝ネロがこれを軽くすると、以後、銀の純度は下がる一方でした。金貨アウレウスも、アウグストゥスの七・八グラムから、カラカラの六・五グラムへと痩せていきます。
後二百十五年、カラカラ帝はアントニニアヌスという新しい銀貨を出します。額面は二デナリウスとされていましたが、実際に含まれている銀は一・五デナリウス分しかありません。貨幣に刻まれた皇帝は放射の冠をかぶり、二倍の値を名乗ったのです。
打つたびに銀は減り、ガリエヌスの世には、銀の割合はおよそ二パーセントまで落ちました。やがて青銅の芯に、薄い銀をかぶせただけの貨幣になります。良貨は退蔵され、売り手も買い手も低い中身を見抜いて、値を吊り上げました。壊れたのは誰か一人の富ではなく、貨幣を持つすべての者の、通貨への信という富でした。
さかのぼってリディアでは、王クロイソスが、それまでのエレクトロン貨をやめ、純金と純銀の貨幣をはじめて別々に造りました。紀元前五百五十年ごろのことです。リュディアの職人たちは、自然の合金であるエレクトロンを、人の手で金と銀に分ける精錬の技を編み出していました。
純度を国家が保証した金貨としては、これが最初のものに数えられます。そして金貨と銀貨を並べて使う、世界で最初の複本位の仕組みが生まれました。クロイソスの名は豊かさの代名詞となり、その富は黄金の奉納となって、遠くデルフォイの神殿にまで積み上げられたといいます。
七七四年にランゴバルド王国を倒したカール大帝は、七九四年、フランクフルトの教会会議で、新しいデナリウスの使用を布告しました。そこには、二つの決まりがありました。純銀で打つこと、そしてカールの名を載せることです。
一ポンドの純銀から二百四十枚のデナロを打ち、十二枚を一ソルド、二十ソルドを一リブラと数える。この新しい計数法が定められます。それまでは一ポンドを二百六十四枚で数えていましたが、これを十二でも二十でも割り切れる二百四十という数に直したのです。
リブラ、ソルド、デナロ。この三段の数え方は、以後千二百年にわたってヨーロッパの帳簿を支配し、イギリスのポンド・シリング・ペンスも同じ骨組みを持っています。
この仕組みの土台にあったのは、一ポンドおよそ四百八グラムの純銀でした。一枚の貨幣が本当に持っている値打ちは、額面がいくらでも、名前が何であっても、その量目(重さ)と品位(純度)の掛け算で決まります。
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