1690年代
イングランドの銀貨は削られ、すり減り、軽くなっていた
万有引力の発見者アイザック・ニュートンは、造幣局の役人でもありました。天体の運動を計算したその人は、変装して酒場に潜り、贋金師を追い詰める証拠を探していたのです。
3分でわかる 造幣局のニュートン
横に送って見られます
1690年代
イングランドの銀貨は削られ、すり減り、軽くなっていた
1696年
国は古い銀貨を集め、機械で打った新しい銀貨に替えた
「大改鋳」
そのとき
元の重さに戻す案が勝った。物価が下がる痛みも伴った
1696年
万有引力のニュートンが、造幣局の監事になった
監事として
変装して酒場で聞き込み、偽金づくりの証拠を集めた
1699年
大物の偽金づくりを追い詰め、絞首台に送った
1717年
金貨ギニーの値が決まった
21シリング
その後
銀は外へ流れ、国に残ったのは金。事実上の金本位へ
21シリング
1717年に定まった金貨ギニーの価値
1696年
大改鋳の年。ニュートンが造幣局に入った年
あなたは大改鋳のときの役人。削られて軽くなった銀貨に合わせて基準を下げるか、元の重さに戻すか。どちらを選びますか?
選んでみてください
これも出された案の一つでした。でも論争は、元の重さに戻す側の勝ちに終わります。
実際に選ばれたのはこちらです。基準は守られましたが、物価を押し下げる痛みを伴いました。
そして新しい銀貨を守るため、ニュートンは偽金づくりを追いました。お金の信用は、偽物を許さない力があって保たれたのです。

万有引力の発見者、アイザック・ニュートン。その人が変装して酒場で聞き込みをし、容疑者を繰り返し尋問していたという記録が、いまも残っています。天体の運動を計算した人物が、なぜロンドンの裏町で、証言を突き合わせていたのでしょうか。
千六百九十年代、イングランドの銀貨は限界でした。市中に残る手打ちの旧貨は削られ、摩耗し、あるべき重さを大きく欠いていたのです。貨幣の信用が崩れれば、売り買いも税も立ちゆきません。千六百九十六年、国家は「大改鋳」に踏み切ります。市中の旧貨を、額面どおりの価値で回収し、機械打ちの新貨へ打ち直すのです。
改鋳にあたり、貨幣の基準をどうするかで国論は二分されました。削られた現実に合わせる切下げ案と、哲学者のジョン・ロックが唱えた、元の重さに戻す旧平価維持の案です。論争はロックの勝ちに終わり、平価は守られましたが、この選択は物価を押し下げる痛みを伴いました。そしてこの事業の現場に、ニュートンが着任します。
千六百九十六年、ニュートンは造幣局の監事に就任しました。名誉職として務めることもできましたが、彼はそうしませんでした。大改鋳の生産管理を指揮しただけでなく、貨幣を偽造する贋金師の摘発を、自らの手で指揮したのです。
最大の標的は、ウィリアム・チャロナーという大物の贋金師でした。ニュートンは執念で証人を探し、証言を集め、言い逃れの道を一つずつ塞いでいきました。追い詰められたチャロナーは、千六百九十九年、絞首台に送られます。貨幣の信用は、偽造を許さないという執行の裏づけがあって、はじめて保たれる。数式の人は、証拠の人でもあったのです。
千六百九十九年から長官に進み、千七百二十七年に没するまで、ニュートンは造幣局の人であり続けました。千七百十七年、造幣局長官ニュートンは、金と銀の比価についての報告を提出し、ギニーの価値は二十一シリングと定められます。
ところが、この決定には続きがありました。この比価のもとでは、イングランドでは金が割高に、銀が割安に評価されることになったのです。すると、良質の銀貨は外へ持ち出され、銀は島から流れ出し、国内に残るのは金。イングランドの通貨は、こうして事実上、金本位へと滑り込んでいきました。彼が行ったのは比価の勧告です。それがニュートンの意図したことだったかどうかは、今も議論があります。
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