かつて
植民地の銀貨は、銀を切って打っただけのかたまりだった
王冠をいただく二本の柱が、二つの半球をはさむ。歪んだ銀のかたまりから真円の貨幣へ。縁に施された一つの工夫が、削り取りの痕跡を見分ける手がかりとなり、世界に渡る信用の土台を築きました。
3分でわかる 柱のドル
横に送って見られます
かつて
植民地の銀貨は、銀を切って打っただけのかたまりだった
縁を削って銀を抜く盗みが続き、人は重さを疑った
1728年と1730年
国は、手打ちをやめて機械で打つよう命じた
1732年
メキシコ市で、機械で打つまん丸の銀貨が生まれた
「柱のドル」と呼ばれる8レアル銀貨
縁には縄目の刻み。削れば、ひと目で分かる
2本の柱と二つの半球。銘は「両者は一つ」
1767年
ポトシの造幣所でも、機械で打つようになった
削れば跡が分かる銀貨の信用は海を渡り、ドルと呼ばれた
1857年まで
アメリカでも、独立の後もお金として使われ続けた
あなたは植民地の商人。代金を二つの銀貨のどちらかで受け取れます。形のばらばらな銀のかたまりと、縁に刻みのあるまん丸の銀貨。どちらにしますか?
選んでみてください
かたまりの銀貨は縁を削られ、少しずつ銀を抜かれていました。受け取るたびに、重さや中身を疑わなくてはなりません。
縄目の刻みのある縁は、削り取りの痕跡を見分ける手がかりになりました。
削れば跡が見て分かる銀貨の信用は海を渡り、やがて「ドル」と呼ばれるようになります。

かつて植民地で打たれていた銀貨は、コブと呼ばれるものでした。銀塊を切り、ハンマーで刻印しただけの、不定形のかたまりです。形は一枚ごとに違い、その品質は長い年月のうちに落ちていました。
この銀貨には、宿痾ともいえる問題がありました。へりを削り取られ、少しずつ銀を抜かれてしまうのです。手にした者は、その重さや品位をいちいち疑わなくてはなりません。帝国の信用は、歪んだ銀のかけらとともにありました。
この事態に対し、新しい王朝は貨幣の作り方そのものに手を入れます。千七百二十八年と千七百三十年、二つの法令が海の向こうの造幣所に、手打ちをやめて機械打刻の貨幣へ移るよう命じました。
千七百三十二年、メキシコ市の造幣所で最初の機械打ち八レアル銀貨が生まれます。人々が「柱のドル」と呼ぶことになる銀貨です。真円に打たれたこの銀貨のへりには、縄目の刻みが巻かれました。貨幣のへりの模様は、削り取りの痕跡を見分ける手がかりになります。
柱のドルの表面には、王冠をいただく二本のヘラクレスの柱と、二つの半球が刻まれています。添えられた銘は「VTRAQUE VNUM」——「両者は一つ」を意味します。旧世界と新世界は一つの王冠のもとにある、という宣言です。
一枚の実物を見てみましょう。千七百六十八年、ポトシの造幣所で打たれた銀貨です。ポトシで機械化が始まったのは、その前年の千七百六十七年のことでした。この一枚は、新しい時代の始まりを告げるものでした。
均質で、削れば跡が見て分かる銀貨。その信用は、海を渡りました。やがてこの銀貨は、別の名で呼ばれるようになります。ドル、です。
アメリカ合衆国では独立の後も使われ続け、千八百五十七年まで法定通貨でした。千七百九十二年の合衆国鋳貨法は「現に流通するスペインのミルド・ドル」を、自国のドルの基準に据えたほどです。発行した帝国の財政が沈んでいくあいだも、貨幣としての八レアルは、成功し続けました。
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