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枢機卿の財布と痩せた銅貨

フロンドの乱が終わり、マザランは約三千五百万リーヴルの私財を遺した。同じころ、庶民の手の銅貨リヤールは、一か月ほどで三分の一の額面に切り下げられていた。

3分でわかる 宰相の財布と庶民の銅貨

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横に送って見られます

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フロンドの乱

国の機関が、宰相マザランの首に賞金を懸けた

15万リーヴル

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財産は売られ、約4万巻の本も競売で散った

フランス最初の公共図書館が消えた

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1600〜1650年

1600年から1650年で、国の出費は5倍にふくらんだ

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王は、未来の税を担保に金融家から前借りしていた

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国にお金を貸した人への利払いが、1部しか届かなくなった

2.5回分

四半期ごとの利払いのうち

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王に貸した人たちが、やがて反乱の主役になった

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1661年3月9日

マザランは亡くなるとき、莫大な財を遺していた

約3500万リーヴル

わずか8年で積み直し、一切裁かれなかった

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1658年

庶民の銅貨は、1か月ほどで額面が3分の1に

三 → 一ドゥニエ

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3500万リーヴル

マザランが遺した私財(約)。師の財をも超えた

師リシュリュー約2000万
マザラン約3500万

1ドゥニエ

1658年、庶民の銅貨リヤールの新しい額面

もとの額面三ドゥニエ
1か月ほど後一ドゥニエ

3あなたならどうする?

1650年ごろのパリ。あなたは国にお金を貸し、その利払いで暮らしています。ところが利払いが1部しか届かなくなりました。どうしますか?

選んでみてください

国のことだから、我慢して待つ

増税の刃は、農民ではなくパリの役人と、利払いで暮らす人たちに向いていました。四半期ごとの利払いのうち、受け取れたのは2.5回分だけです。

王に逆らう側に加わる

実際に、王にお金を貸した人たちが、やがてフロンドの乱の主役になりました。

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2026-09-02 葉山 満 お金の話
フランス フロンドと枢機卿の財布/パレ・ロワイヤルの帳簿部屋

賞金を懸けられた宰相

高等法院が枢機卿マザランの首に十五万リーヴルの賞金を懸けました。国家の機関が、現役の宰相に値を付けた。それがフロンドの乱の到達点のひとつです。

財産の売却も命じられ、約四万巻の蔵書も競売で散りました。一六四三年から万人に開かれていた、フランス最初の公共図書館が、こうして消えます。街には枢機卿を罵るマザリナードがおよそ五千点、蠅の群れのように舞いました。世論の記録ではあっても、事実の記録ではない、と素材は留保しています。

反乱の火種は財政にあった

乱の背景には、長く続いた財政の搾り出しがありました。国家の支出は一六〇〇年から一六五〇年のあいだに五倍へ膨らみ、王権は未来の税を担保にトレタンと呼ぶ金融請負人から現金を前借りしていました。

増税の刃は農民ではなく、パリの官僚と金利生活者へ向きます。公債の年金で暮らすランティエは、四半期に一度の利払いのうち二・五回分しか受け取れなくなりました。王権に金を貸した者たちが、やがて反乱の主役になりました。

逃げた者が積み直した富

マザランはケルンへ亡命し、一度は競売で財産を失います。しかし一六六一年三月九日にヴァンセンヌで世を去るとき、遺した富は約三千五百万リーヴルでした。十七世紀で最大の私財とされ、師リシュリューの約二千万をも超えました。わずか八年で積み直したことになります。その富は一切裁かれませんでした。

同じ時代の銅貨

一六五八年、庶民が日々手にする銅貨リヤールは、額面を三ドゥニエから一ドゥニエへ、一か月ほどで切り下げられました。三分の一に痩せた小銭と、積み直された三千五百万リーヴルは、同じ時代の話です。

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