顔は違えど同じ重さの硬貨
フランスの皇帝、ベルギーの王、スイスの女神。片面に刻まれた顔も言葉も国名もばらばらな硬貨が、国境を越えて等価で通いました。約束は、ただ一つでした。

同じ重さという約束
一八六五年、フランスが主導し、ベルギー、イタリア、スイスと共にラテン通貨同盟が結ばれました。この同盟が揃えたのは、共通の中央銀行でも財政の規律でもなく、硬貨の規格だけです。
基準となった五フラン銀貨は、総重量二十五グラム、品位は千分の九百と定められました。純銀にして二十二・五グラムです。金と銀の価値の比率は、十五・五対一。この寸法と重さと品位さえ守れば、片面の肖像はフランスの皇帝でも、ベルギーの王でも、スイスの女神でも構いませんでした。国名も言葉もばらばらの硬貨が、国境を越えて等価で通ったのは、この寸法の一致があったからです。
署名の外へ広がる円
同盟に正式に加盟したのは、最初の四か国と、千八百六十七年四月十日に加わったギリシャだけでした。けれど、この規格そのものは、条約の署名を越えて大きく広がっていきます。
ペルーは同盟より早い千八百六十三年から、同じ寸法の銀貨を採っていました。コロンビアとベネズエラ、北欧のフィンランド、バルカンのセルビアやブルガリアも続きます。スペインのペセタやルーマニアのレウも、加盟はせずに規格だけを写しました。条約に縛られなくても、重さと品位さえ合わせれば、どの国もフラン圏に片足を入れることができたのです。
約束を破る者、防げぬ同盟
しかし、この緩さは弱さでもありました。共通の監督機関がないため、約束を破る国を罰する術がありません。その穴を内側から突いたのが教皇領です。
千八百六十六年から、教皇庁の財布を握る枢機卿アントネッリは、規定より貴金属を減らした銀貨を大量に鋳ました。その量は、ベルギーの一年の鋳造高に並んだとされます。劣る銀貨は隣国へ押しつけられましたが、スイスとフランスの銀行が受け取りを拒み、教皇領は千八百七十年に追われました。財政難のたびに硬貨の金を削ったギリシャも、千九百八年に追放されます。同盟にできたのは、締め出すことだけでした。
銀が崩した天秤
同盟の背骨を揺るがしたのは、千八百七十年代に起きた銀の値の暴落でした。定められた十五・五対一の比価では、銀が高く見積もられすぎます。銀をフランスに持ち込んで硬貨に鋳造し、金と換えれば利益が生まれました。
千八百七十三年の一年だけで、一億五千四百万フランの銀がフランスに殺到します。同盟は千八百七十四年に銀貨の自由な鋳造を制限し、千八百七十八年には停止しました。しかし、すでに鋳られた銀貨は廃貨にせず、額面のまま通用させます。金属の値は額面を割っているのに、金貨と並んで使える。この足を引きずる姿は跛行本位と呼ばれました。
溶かせば損をする銀貨を抱えたまま、同盟は半世紀を歩きます。あとから、脱退する国には銀貨を金で償わせる条項が継ぎ足されました。離脱を裁けないなら、せめて高くつかせる。そういう同盟だったのです。
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