1284年10月31日
ヴェネツィアの評議会が、金貨ドゥカートを打つと決めた
イタリアの都市国家ヴェネツィアは、一枚の金貨の規格を五百年以上も変えませんでした。王朝がいくつも興亡する時間、なぜこの金貨は変わることなく、そして広く使われたのでしょう。
3分でわかる500年変わらなかった金貨
横に送って見られます
1284年10月31日
ヴェネツィアの評議会が、金貨ドゥカートを打つと決めた
1284年
重さと金の割合を、きっちり決めた
3.545グラム
純度は9割九分7厘
1797年まで
共和国が滅びるまで、その決まりを守り続けた
500年以上
中世の後期
変えない金貨は、地中海の共通のお金として広まった
14世紀半ば
東地中海からインドまで、まね物が作られた
まねされるのは、基準のお金である証
1457年
ポルトガルは自分の金貨を打ち、ドゥカートより良いと誇った
まとめ
信用を守り続ける意志そのものが、力になった
500年以上
ドゥカートの規格が変わらなかった長さ(1284年〜1797年)
3.545グラム
決められた重さ。純度は9割九分7厘
あなたは商人です。よその国の金貨で取引しています。その国が金貨の中身を減らしたら、どうなるでしょう?
選んでみてください
関係します。発行した国が品位を落とせば、こちらの取引も揺れます。他国の金貨に頼るのは、他人の信用を借りることでした。
そのとおりです。だからポルトガルは自分の金貨を打ちました。自分の金貨を持つとは、他人の信用を借りるのをやめることでした。
それでもポルトガルが誇る基準は、やはりドゥカートでした。

千二百八十四年十月三十一日、ヴェネツィアの四十人会と呼ばれる評議会が、金貨ドゥカートの打刻を決めます。三十二年前に登場したフィレンツェの金貨に対抗するためでした。規格は、重さ三・五四五グラム、純度は二十四カラット、九割九分七厘。
この規格は、ヴェネツィア共和国が滅びる千七百九十七年まで、五百年以上にわたって守られました。王朝がいくつも興って滅ぶほどの時間、一枚の金貨の仕様が動かなかったのです。
「変えない」という一点が、国の大きさ以上に効きました。純度を守り続けたドゥカートは、地中海世界の共通通貨として広く通います。ソリドゥスの後を継いだ、中世後期のドルでした。
ヴェネツィアは千二百四年の帝国分割でエーゲ海に交易網を広げており、ドゥカートは旧ビザンツ圏へも浸透します。十四世紀半ばには、東地中海からインドに及ぶ範囲で模造貨が作られました。模造されるのは、その貨幣が基軸であることの証です。
他国の金貨に頼る取引には、危うさが伴います。発行国が品位を落とせば、こちらの取引も揺れてしまうからです。自分の金貨を持つとは、他人の信用を借りるのをやめるということでした。
一四五七年、ポルトガルはアフリカから届いた金で自国の金貨クルザードを打ちます。この金貨の背景には、一四五三年のコンスタンティノープル陥落を受けた十字軍の計画がありました。当時の記述は、この金を「キリスト教世界のいかなるドゥカートより優れた金だ」と誇っています。基準は、やはりドゥカートでした。
国家の力とは、軍隊だけではありません。ヴェネツィアのドゥカートは、長期にわたって規格を変えなかったことで、絶大な信用を築きました。
この都市が証明したのは、信用を守り続ける意志そのものが力になるということでした。
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