木の壁になった銀
アテナイの鉱山から出た銀は、あるときは市民一人に十ドラクマと見積もられ、あるときは船になり、またあるときは神殿を飾りました。ペルシアの子が持ってきた銀は、敵の兵士を動かします。

フクロウの銀貨
表に女神アテナの頭、裏にその鳥フクロウ。アテナイのテトラドラクマ銀貨は、ただ「フクロウ」と呼ばれました。銀はラウレイオンの鉱山から来て、この図柄は紀元前六世紀の終わり近くに定まったと、クロールは書いています。紀元前五世紀、フクロウは東地中海じゅうで好まれました。
鉱山の富と木の壁
話は紀元前四百八十三年から翌年にかけて、鉱山から新しく銀が出たときにさかのぼります。『アテナイ人の国制』が百タラントンと記す国の余りを、市民に分けよという声がありました。ヘロドトスによれば、一人十ドラクマになる計算です。
これにテミストクレスは反対し、船に変えようと説きました。相手は海で争う隣の島アイギナでした。紀元前四百八十年、ペルシアが迫ると、デルフォイの神託は「木の壁が、お前たちと子らを守るだろう」と告げます。古老たちは昔アクロポリスを囲んだ茨の垣のことだと読みましたが、テミストクレスは船のことだと読みました。人々は彼の読みを取り、その船はもう港にありました。
同盟の金庫と神殿
戦いの後、ギリシャの都市はペルシアに備えて同盟を結びます。共同の金庫はデロス島からアテナイへ移されました。やがてペリクレスは、その金でパルテノン神殿を建てます。プルタルコスが伝えるところでは、政敵は民会で「戦のために出させた金で、われわれは町を飾り立てている」と叫びました。
ペリクレスは答えます。同盟の町は金を出すだけで、馬も船も兵も出さない。戦を代わりに引き受けている限り、使い道を説明する義務はない。トゥキュディデスは、ペロポネソス戦争が始まる年、アクロポリスには、なお六千タラントンの銀貨が蓄えられていたと書いています。
漕ぎ手の日当
紀元前四百三十一年に始まった戦争は、海の戦いを続けました。船を動かすのは、賃金で雇われた漕ぎ手です。紀元前四百七年、ペルシア王の子キュロスは、スパルタの提督リュサンドロスに五百タラントンをもたらします。
取り決めでは、漕ぎ手一人の日当は三オボロスでした。スパルタの使節は、これを一ドラクマに上げればアテナイの漕ぎ手が船を離れると説きます。宴の席で望みを問われたリュサンドロスは、日当に一オボロスを足してほしい、と答えました。アテナイのフクロウは、紀元前五世紀には東地中海じゅうで好まれ、古代でもっとも多くまねされた硬貨になりました。


