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数と資料の出どころ

キッパー・ウント・ヴィッパー(1619〜23年)

キッパー・ウント・ヴィッパー(1619〜23年) / 1619〜1623年 / 神聖ローマ帝国 / 貨幣制度の混乱

数と資料の出どころ

図と本文の数が、どの資料のどこから来ているかの一覧です。見出しを押すと開きます。

詳しく読む数値台帳(11件)
37 s 6 d(1614-12)→ 48 s(1619-10)→ 52 s(1620-08)→ 54 s 6 d(1621-03)→ 54 s(1621-05)→ 48 s(1622-05)シリング・ペニヒ(リューベック)ハンブルクの1ターラーの相場1614〜1622・分母1ターラー・良貨のアジオ 図1W. A. Shaw 1895 p.208(Soetbeer の表の転載。ページ画像で照合)
2 fl 4 kr(1620)→ 4 fl(1621)→ 10 fl(1622)。ドゥカートは3 fl 12 kr → 6 fl → 16 flグルデン・クロイツァーブランデンブルクのライヒスターラーの相場1620〜1622・分母1枚・良貨のアジオ 図2W. A. Shaw 1895 p.208(Fidicin の表の転載)
1 fl 0 kr(1582)→ 1 fl 22 kr(1618-05-15)→ 2 fl 0 kr(1620-11-09)→ 5 fl 30 kr(1621-12)→ 8 fl 30 kr(1622-02)→ 2 fl 52 kr(1622-06-16)→ 1 fl 20 kr(1623-04)グルデン・クロイツァー帝国全体のグルデンターラーの相場(Hirsch v.494)1582〜1623・分母1枚・良貨のアジオ 表には2 fl 52 kr が6回繰り返され、Shaw はその性格を説明しない。図にしないW. A. Shaw 1895 p.209
ライヒスターラー1枚に5 fl 30 kr、金グルデンに5 fl 30 kr、ドゥカートに8 fl 30 krグルデン・クロイツァー一枚刷りの両替相場(アウクスブルク)1621/22・分母1枚・両替商の上乗せMartin Wörle— Wikisource の翻刻1621 本文(問答)
ライヒスターラー5¼ ターラー、金グルデン ほぼ6ターラー、ドゥカート8ターラー、グルデンターラー5グルデン近くターラー・グルデン詩に語られる相場1621・分母1枚・詩の語り「Vel Quasi」— Wikisource の翻刻1621 第14〜17節
ライヒスグルディナー60 kr、1ケルン・マルクから9½ 枚、品位14ロート16グレーン。小額貨の受取義務の上限25グルデン枚・ロート・グレーン1559年令の基準1559-08-19・分母1ケルン・マルクの純銀・法皇帝フェルディナント1世と帝国等族1559 §2〜3・§11
68 kr、1マルクから8枚、品位14ロート4グレーン。半ターラー34 kr、4分の1ターラー17 krクロイツァー・枚1566年決議のターラー1566・分母1ケルン・マルクの純銀・法皇帝フェルディナント1世と帝国等族1559 1566年決議 §150〜152(p.235)
約23 kg の銀をターラーに打てば14½ グルデン超の利益、3プフェニヒ貨に打てば46グルデン超の損失グルデン小額貨の不採算1559年令の下・分母 約23 kg の銀・連邦銀行の計算Deutsche Bundesbank p.1
金貨で額面の約0.6%、小額貨で額面の最大4分の1額面比鋳造費の比率16世紀・分母 額面・州立文書館の解説Senta Herkle・Marius Wieandt 2022 本文
1595年15〜25%、1596年43%、1604年18〜26%、1607年 フランクフルト6 kr 貨 約37%・テシェン公27%・プファルツ伯30%・ゾルムス伯31〜34%。1609年 悪鋳者20超%(正規の価値に対する不足)試金で分かった不足率1595〜1609・分母 帝国の基準・管区の試金W. A. Shaw 1895 pp.204–207
規定の10%(最小額面は銀なし)規定含有比バイエルンの小額貨の銀含有1621・分母1559/1566 年令・含有Hubert Emmerig 2010 第6節
詳しく読む図の数の出どころ
図何の数値時点・期間資料とその箇所
図1数を使わない図———
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)37.51614-12W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)38.81615-08W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)41.01616-01W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)41.01616-08W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)40.51617-04W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)41.51617-08W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)42.01617-09W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)42.01617-11W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)42.51618-07W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)43.01618-09W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)44.01618-11W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)46.51619-09W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)48.01619-10W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)52.01620-08W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)53.01621-02W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)54.51621-03W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)54.01621-05W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図2ハンブルクの1ターラーの相場(シリング)48.01622-05W. A. Shaw 1895 p.208(ページ画像で照合)
図3ニュルンベルクの監督の会議—1618-05W. A. Shaw 1895
図3グルデンターラー1グルデン36クロイツァー—1619-10-20W. A. Shaw 1895
図3グルデンターラー2グルデン—1620-11-09W. A. Shaw 1895
図3グルデンターラー5グルデン30クロイツァー—1621-12W. A. Shaw 1895
図3グルデンターラー8グルデン30クロイツァー(表の頂点)—1622-02W. A. Shaw 1895
図3グルデンターラー2グルデン52クロイツァー—1622-06-16W. A. Shaw 1895
図3グルデンターラー1グルデン20クロイツァー—1623-04W. A. Shaw 1895
図4試金で、小額の貨幣が正規の価値より43% 足りない—1596年—
詳しく読む何から分かるか

史料は三つの層に分かれます。第一に法です。1559年の帝国貨幣令と1566年の帝国議会決議は、1747年刊行の『帝国議会決議集』第3部でバイエルン州立図書館のデジタル画像から読めます。1563年12月の勅令は、多くの都市が令をまだ公布していないと叱責しており、法と現実の距離を法の側が記録しています。

第二に相場表です。管区の貨幣協定と試金集会の記録はヒルシュの『帝国貨幣文書集』全9巻にまとめられ、ショーは1895年にそこから帝国全体のグルデンターラーと金グルデンの相場表を転載し、ブランデンブルク(フィディツィン)とハンブルク(ゼートベーア)の表を添えました。帝国全体の表には1621年5月から1622年6月にかけて同じ2グルデン52クロイツァーが6回現れ、ショーはその性格を説明していません。このページの図は、この繰り返しの無いハンブルクとブランデンブルクの表から描いています。

第三に同時代の刊行物です。1621年から1622年の一枚刷りと詩は VD17(17世紀ドイツ語圏刊本目録)に登録され、ウィキソースに翻刻があります。『良い金の墓碑銘』(アウクスブルク、マルティン・ヴェルレ)、『貨幣たちの新しい対話』、両替商が神に罰せられる「新しい報せ」、『ユダヤ人のキッパーと両替商』を読みました。ショーはこのほかに1621年の歌3篇と大英博物館所蔵の題名を挙げ、ロッソーは2001年に刊行物としてのこの事件を一冊で扱っています(この本はここに挙げた資料に含まれていません)。

研究の柱とされるキンドルバーガーの1991年の論文は有料で、書名と刊行の確認までです。パース(2012年)の一枚刷り集も同じです。教材が書く「食料はおよそ8倍」「小額貨は額面の5分の1」は、2012年のスミソニアン誌の記事に同じ数があり、その記事は出典を明示せずキンドルバーガーを主な典拠に挙げています。1888年のマイヤー百科事典は「1621年に良いターラー1枚が7から8ターラー、1623年には16から20ターラー」と書き、これも出典を示しません。本文には、相場表で確かめられる数だけを置いています。

何から分かるか — 資料の種類

通俗書

物価上昇の規模

教材 物価高騰の町

総括の数字は無い

教材 キッパー・ウィッパー

食料およそ8倍・1621年に額面の1/5

Dash 2012(スミソニアン誌)

同じ数。出典を明示せず、Kindleberger 1991を主な典拠に挙げる

Mike Dash 2012
Meyers 1888

良いターラー1枚が1621年7〜8、1623年16〜20ターラー(出典なし)

Bibliographisches Institut, Leipzig 1887
Shaw 1895の相場表

良貨のアジオは1618年5月1 fl 22 kr → 1622年2月8 fl 30 kr。食料の物価ではない

W. A. Shaw 1895

「ドイツ史上最初の大インフレ」という位置づけ

教材

最初の大インフレ

連邦銀行貨幣博物館

神聖ローマ帝国の歴史のなかで最大のインフレ

Deutsche Bundesbank
Shaw 1895

混乱の点で歴史に例が無い貨幣制度(1895年の表現)

W. A. Shaw 1895

名前の由来

LEO-BW・Bundesbank

どちらの語も速秤で良貨を選り分ける動作

Senta Herkle・Marius Wieandt 2022
Meyers 1888

kippen=切り取る、wippen=秤の皿が沈むように投げ入れる

Bibliographisches Institut, Leipzig 1887
Redlich 1972(Dash 経由)

両替商が見物人を惑わすために秤を揺らし続けた

Mike Dash 2012

「国家そのものが偽金作りになった」

教材 キッパー・ウィッパー

国家そのものが偽金作りになった

1559年帝国貨幣令

貨幣領主の違反は罰金(§31)、偽造者は身体刑(§160〜161)と分ける

皇帝フェルディナント1世と帝国等族1559
Volckart 2017

模造と悪鋳の境界は薄かった

Oliver Volckart 2017
詳しく読む参考文献(15件)

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