NOMISMA SCHOLA
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“Kipper und Wipper”: Rogue Traders, Rogue Princes, Rogue Bishops and the German Financial Meltdown of 1621–23

Mike Dash — Smithsonian Magazine(2012-03-29)

この資料が支える主張

  1. 1923 年のハイパーインフレとの対比で語り、Kindleberger 1991 を主な典拠に挙げる。出典欄は Coupe 1966、Denzel 2006、Gaettens 1982、Kindleberger 1991、Redlich 1972、Schnabel & Shin 2006
  2. 「1923 年と同じく、子どもが路上で無価値の貨幣の山で遊ぶ姿から事態の悪さが分かった」と書くが、この光景の出典を示していない
  3. 1559 年の帝国貨幣令は鋳造を限られた諸侯と造幣所に限り Kreiswardein の検査を定めたが厳格に施行されず、小額貨の鋳造は不採算のため止まり、外国貨と無認可の Heckenmünzen が広がった。クロイツァーは 1582〜1609 年に約 20% 減価した(原典は示さない)
  4. Kindleberger を引用: 悪鋳は初め自領内に限られたが、隣の領邦へ悪貨を持ち込み無知な庶民から良貨を得て持ち帰り、再び悪鋳するほうが儲かると分かった。被害を受けた領邦は防衛のため自らも悪鋳し、造幣所が増え、悪鋳は加速した
  5. 語源には争いがあり、kippen を「切る」とも「傾ける」とも、wippen を「シーソー」とも「揺らす」とも訳す著者がいる。Redlich は「両替商が見物人を惑わすために秤を揺らし続けた」手口と説明する
  6. ライプツィヒは銀に最高値を払い銀が流入した。ブラウンシュヴァイクの造幣所は 1620 年の 17 から 3 年後に 40 になり、修道院を造幣所に転用して 400 人を雇った。諸侯・貴族・商人は週単位で造幣所を借りた。ヴァレンシュタインはボヘミア・モラヴィア・下オーストリアの造幣請負で財を成した(原典は示さない)
  7. 1622 年 2 月のマクデブルクの騒擾で 16 人が死に 200 人が負傷し、ブランデンブルクでは Kippergeld を扱うと疑われた両替商の店が群衆に襲われた(原典は示さない)
  8. 「残る不十分なデータは、1620〜1623 年にドイツの大半で基礎食料の価格がおよそ 8 倍になったことを示唆する」「1621 年までに帝国で流通する平均的な小額貨は額面の約 5 分の 1 の価値しかなかったと計算できる」— 出典を明示していない(文脈からは Kindleberger 1991)
  9. Kindleberger によれば 1623 年までに誰も Kippergeld を受け取らなくなり、帝国の大諸侯は 1559 年令の条件へ戻ってライヒスターラーの相場を固定した。この相場は約 40 年続いたが、戦争の中でインフレを止めるのは長年できなかった

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