品位を落とす罪と、死刑という罰
アメリカの鋳貨法は、造幣局の役人が貨幣の品位を不正に落とした場合、死刑を科すと定めていました。金属に含まれる貴金属の割合を示す「品位」は、なぜそれほど重い意味を持ったのでしょうか。

罰則は死刑
アメリカの鋳貨法には、ひやりとする一行があります。造幣局の役人が不正を働き、貨幣の品位をひそかに落としたならば、その罪は死刑、と定めていました。生まれたばかりの共和国が、貨幣に関する罪に最も重い刑を据えたのです。この重い罰則の背景には、この国が大陸紙幣によってカネへの信頼が崩れ落ちる光景を見たばかり、という経験がありました。
見た目では分からない価値
品位とは、金属に含まれる金や銀の割合を、重さを基準に表したものです。たとえば銀品位が〇・九二五なら、全体の九十二・五パーセントが銀であることを意味します。残りは銅などの「割り金」です。
品位は見た目や重さだけでは確定できません。同じ重さのまま品位だけを下げれば、含まれる金や銀の量は減ります。仮に量目27グラム、銀品位0.925の貨幣なら銀は約25.0グラムですが、同じ重さで品位が0.500になれば、銀は13.5グラムしかありません。量目の検査と品位の分析は、まったく違うことを調べているのです。
秤と、確かめる時間
貨幣が生まれるより千年以上も前、価値とは重さそのものでした。バビロニアにはシェケルという言葉がありましたが、これはもともと大麦の重さを基準にした、重さの単位でした。やがて銀で重さが測られるようになると、人々は取引のたびに銀のかたまりを切り取り、秤にかけました。ハックシルバーと呼ばれるものです。
この重さで払う世界では、取引のたびに品位を確かめねばなりません。その確かめる時間そのものが、取引の費用になっていました。
都市の造幣が終わるとき
品位への信頼が揺らぐと、社会にも影響が及びます。後二六七年、北から来たヘルール族がアテネを陥落させ、コリントスやスパルタも劫掠しました。歴史家デクシッポスがアテネで抵抗を率いたと伝わります。
破壊のあと、市街は狭い一角へと縮みました。そしてこの頃、帝国銀貨の品位低下と物価の上昇を背景に、都市の造幣は終わりに向かいます。ガッリエヌス帝とその後継者の時代、造幣は帝国の手に集められ、都市が自分の貨幣を打つという長い時代の営みは、ほぼ止まりました。
貨幣の信認は、一度失えば取り戻すことは難しいものです。だからこそ、その信認を内側から裏切る者には、最も重い罰が向けられました。死刑という条文は、若い国が貨幣の信認をどれほど重く見ていたかの、動かぬ証言です。


