NOMISMA SCHOLA
SOURCE ROOM

A History of Prices, and of the State of the Circulation, from 1839 to 1847 inclusive; with a General Review of the Currency Question(vol. IV)

Thomas Tooke — London: Longman, 1848(Internet Archive のスキャン)

この資料が支える主張

  1. 1844 年法の施行と同時(9 月 5 日の告示)にイングランド銀行は公定割引率を 4% から最上級手形 2.5%・約束手形 3% へ下げ、1845 年 3 月に双方 2.5% とした。それは銀行がそれまで採ったことの無い低さで、同時に「最低率」という告示の形が始まった(pp.60–61, 294)
  2. 低い利率と潤沢な銀行融資が、1844 年 9 月に進行していた鉄道投機を助け、投機は 1845 年の夏(9 月)に頂点に達した。同じ低利は鉄道以外の固定資本投資と外国鉄道への投資も促した(pp.294–296, 301)
  3. 1845 年 10 月 16 日に銀行利率は 3% へ上がった。この時期の金利上昇は、議会へ出す鉄道計画のために政府の代理人へ預託する約 1,460 万ポンドの手当と、前会期に認可された線の払込請求の最初の圧迫に帰せられた。11 月 6 日に 3.5% へ。10 月末までに高値で売り抜けようとする「恐慌」が起き、2 週間足らずで新旧の株価は 2〜3 か月前の水準を割った(pp.66–67)
  4. 預託金の集金と払込は 1846 年 2 月末に完了し、そのとき市場利率は 5% に達した。1845 年 6 月から 11 月に銀行の金塊は 1,650 万から 1,300 万ポンドへ減った(p.71)
  5. 1847 年 1 月、英国線と外国線の鉄道の払込請求は合計 600 万ポンド以上と見積もられ、1 月 14 日に 3.5%、21 日に 4% へ。金塊は 1 月末の 1,290 万ポンドから 4 月 24 日の 920 万ポンドへ減り、4 月 8 日に 5% へ。4 月第 3 週には 5.5% で割り引かれるのは 5・6 月満期の一級手形だけになった(pp.72–73)
  6. 8 月末までに高い利率は信用を要するあらゆる商売に重く感じられ、新しい鉄道の建設に沈む資本の大きさへの不満が広まった。9 月に大商社の破産が続いた(pp.76–77)
  7. 1847 年の銀行利率の変更は 13 回: 1 月 14 日 3.5%、21 日 4%、4 月 8 日 5%、15 日(期間の条件を外す)、8 月 2 日(1 か月 5%・2 か月 5.5%・以上 6%)、5 日 5.5%、9 月 2 日(10 月 14 日までの貸付 5%)、23 日(2 か月 5.5%・3 か月 6%)、10 月 1 日(14 日前満期 5.5%・公債担保の貸付停止)、25 日 8%(政府書簡)、11 月 22 日 7%、12 月 2 日 6%、23 日 5%。1848 年 1 月 27 日に 4%(p.330)
  8. 1844 年 9 月から 1848 年 1 月までの銀行利率の幅は 2.5% から 9% までで、市場利率は 1847 年 4 月から 1848 年 1 月に 4% から 12・15・20% へ上がり、4% 未満へ戻った(p.400)
  9. 著者の評価: 銀行が 1844〜46 年に利率を保っていれば 1846 年夏の金塊は 1,800 万ポンド近くあり、1847 年 1 月末に 5%、4 月に 6% へ上げる余裕があった。1844 年法の下で銀行は「通貨の規制」の責任から解かれたと考え、それが低利の競争を促した(pp.296, 379–382)

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