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辞典と参考文献

History of Crises under the National Banking System(National Monetary Commission)

O. M. W. Sprague — National Monetary Commission(Senate Document No. 538, 61st Congress, 2d Session)

この資料が支える主張

  1. 1907年の危機の初発は10月16日の United Copper 株の買い占め失敗で、Sprague は「通常なら公的な重要性を持たない銅の賭け」と書く。Heinze の Mercantile National Bank は清算所の検査と経営陣の総退陣を条件に支援され、10月21日に新経営陣で再開した(pp. 245–248)
  2. Morse は7行の取締役で3行を支配し、銀行株を担保に次の銀行株を買う連鎖で支配権を得ていた。清算所は1902年に彼の手法を調査したが処置は無かった。10月19日に Morse 系2行が支援を要請し、Morse の銀行業からの引退が条件とされた(pp. 247–248)
  3. 関係した清算所会員5行の預金は10月12日に $56,000,000、非会員3機関を含めても $71,000,000。会員行が $10,000,000の基金を用意し、10月21日には清算所の整理は済んでいた。「この時点まで危機と呼べるものは無かった」(p. 248)
  4. Knickerbocker Trust は預金 $62,000,000の第3位の信託会社。10月21日(月)に National Bank of Commerce が翌日からの清算代行の打切りを発表し、火曜(22日)に3時間の取り付けで $8,000,000を払い出して営業停止。翌年3月に預金者と株主の再建案で再開した(p. 251)。8月22日の準備は $4,745,000で市内の信託会社で最大だった(p. 252注)
  5. 1903年に清算所は会員経由で清算する信託会社に準備の積み増しを求め、ほぼ全ての信託会社が清算特権を返上した。例外が Knickerbocker だった。Knickerbocker が清算所会員の銀行だったなら1884年の先例により支援された可能性が高い、と Sprague は書く(p. 252)
  6. 10月23日(水)に第2位の Trust Company of America(預金 $64,000,000)に取り付けが始まり、2週間で約 $34,000,000を払い出した(水 $12,000,000・木 $9,000,000)。Lincoln Trust は木曜から。10月23日に信託会社社長5人の委員会が設けられ、信託会社が拠出した債券を国法銀行が追加の政府預金の担保に使って日々資金を供給した。11月6日に両社の株の過半が委員会の管理下に置かれたと発表され、信頼が戻った(p. 253)
  7. 「Morgan 氏の強い影響力が無ければ、統一行動は何も取られなかったであろう」。信託会社の一部は救済への参加を渋った(p. 254)。10月24日(木)に Morgan は取引所の崩壊を防ぐため $25,000,000の資金プールを組み、25日にも $10,000,000のプールを組んだ(p. 255)
  8. 清算所は貸付証書の発行を10月26日(土)まで遅らせ、同時に現金支払いを制限した。清算所会長の弁明: 「証書の発行が全国の現金支払制限を招くと知っていたので日ごとに先送りし、準備が $53,000,000の不足を示してから発行した」。Sprague は火曜までに発行しなかったことを「この危機で最も重大な誤り」と評す(pp. 256–257)
  9. 財務長官は10月24日(木)に NY の銀行へ $25,000,000を預託し、10月19〜31日に $36,000,000(うち大手6行に $30,700,000)。11月2日までの2週間に銀行が払い出した現金の約半分は政府から得た。出典は Senate Doc. 208(財務長官の上院決議第33号への回答)(pp. 262–265)
  10. 貸出は10月26日週 +$10,800,000、11月2日週 +$60,700,000、11月9日週 +$38,900,000(3週間で $110,000,000超)。準備不足は11月2日 $38,000,000、11月9日約 $52,000,000。10月最後の5日で清算尻の84%、11月は96% が証書で決済された(pp. 271–272)
  11. 現金支払いは1月初めまで完全には再開されず、ちょうど2か月(10月31日〜12月31日)通貨に上乗せが付いた。NY の銀行の準備は11月2日に $224,000,000、上乗せ消滅時に $251,000,000。準備比率は20% を下回らなかった(1873年は12.8%)(pp. 277–279)
  12. 11月に NY へ着いた金は約 $58,000,000、12月に $38,000,000、計 $96,000,000で「わが国のどの危機より大」。原動力は商品輸出の増加(1907年最後の2か月の輸出 $411,600,000・輸入 $203,000,000)。イングランド銀行は公定歩合を7% へ上げた(pp. 283–284)。10月26日〜12月7日に内陸へ純 $106,921,700の現金が流出した(p. 285)
  13. 106の清算所のうち60近くが貸付証書を用い、20を超える都市で小額面の証書を預金者への支払いに用いた(p. 289)。西部の州知事の法定休日、アトランタ(10月30日)・ポートランド(10月28日)の清算所決議を引く(pp. 286–289)
  14. 国法銀行の貸出は8月22日〜12月3日で $4,709,000,000 → $4,624,000,000(2%)しか減らず、NY 市だけ $712,000,000 → $775,000,000と増えた(うちコールローン $54,000,000)。信託会社と地方銀行が引き揚げた貸出を清算所の銀行が引き受けた(pp. 297–300)。国法銀行の現金は $701,600,000 → $660,800,000、地方銀行の準備は $47,600,000増えた(pp. 303–304)
  15. 8月末〜12月初に通貨供給は $219,000,000増えた(金 $90,000,000うち輸入 $70,000,000・銀 $5,000,000・銀行券 $52,000,000・政府預金 $73,000,000)。11月19日に財務省はパナマ債 $50,000,000と3% 証書 $100,000,000を募集したが、受理は債券 $24,631,000・証書 $15,436,000。Sprague はこれを「不要」と評し、長官の弁明(「精神的効果」)を Senate Doc. から引く(pp. 315–317)
  16. 11月2日週の重要な銀行破綻はサンフランシスコの信託会社(預金 $9,000,000)一件。10月の商業破綻の負債は $27,400,000(1906年10月は $10,553,000)。1907年は1884年に最も似ており、違いは銀行が支払いを制限したこと(pp. 273–274)
  17. 付録 Note J(清算所委員会の報告): 10月26日正午に貸付委員会が任命され、非常時に備えて保管されていた白紙の証書で直ちに発行を始めた(pp. 427–433)

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