辞典と参考文献
Economic Effects of Runs on Early 'Shadow Banks': Trust Companies and the Impact of the Panic of 1907(NBER Working Paper 18264)
Carola Frydman, Eric Hilt, Lily Y. Zhou — National Bureau of Economic Research

この資料が支える主張
- 1907年恐慌は当時の「影の銀行」であるニューヨークの信託会社への取り付けで煽られたが、取り付けの引き金となった衝撃は信託会社の非金融企業顧客とは無関係だった(要旨)
- 1890年にニューヨークの信託会社の貸出は市の国法銀行の半分だったが、1906年には同じ規模。信託会社は州の緩い法の下で設立され、決済量が少なく、地方銀行の預金も持たないため、低い現金準備で足りると主張し、最後の貸し手になり得るニューヨーク清算所に加盟しなかった。市の国法銀行は預金の25% の準備を求められ、信託会社は1906年まで準備義務が無く、以後15%(うち3分の1が現金)(第2節・注11)
- 10月16日に Mercantile National に取り付けが始まり、清算所が融資。10月20日に清算所は関係会員行の支払能力を公表し、Mercantile の取締役全員の辞任を条件とした。10月21日に Knickerbocker が社長 Barney の解任(「Morse 氏との関係」)と National Bank of Commerce の清算代行打切りを発表、同夜清算所は融資を拒み、10月22日に閉鎖。10月23日には他の信託会社へ波及した(第2節)
- 表1: ニューヨーク市の信託会社38社の預金は1907年8月22日〜12月19日に平均32.1% 減。Morse らと関係(取締役・役員兼任・預金)のある11社は53.4% 減、無い27社は23.4% 減。関係の指標が変動の5割超を説明し、財務指標を加えても変わらない(第2節・表1)
- Morgan が主導し財務省が一部を賄った緊急貸付で信託会社の追加閉鎖は防がれたが、取り付けはすぐには止まらず、Trust Company of America は「当時までの米国史上で最も重い取り付け」に耐えた。取り付けは11月6日の最終シンジケートで終わった。10月26日に清算所は貸付証書を発行し商業銀行は現金化を停止、全国の完全な再開は1908年1月(第2節)
- 注1: NBER の景気の山は1907年5月。翌年に実質 GNP は11% 減、鉱工業生産は16% 減、失業率はほぼ倍(Balke–Gordon 1986・Davis 2004・Romer 1983)。景気の谷は1908年6月(第7節)
- 被害の大きい信託会社と結びついた小企業の株価は10.4ポイント下落し、ROE は13.1%、配当率は22% 下がり、平均金利は8.3% 上がり、投資率は50% 近く減った。これらの企業の投資減少 $128,500,000は1908年の非金融法人の投資減少 $700,000,000の18.4% に当たる。効果は5年以上続いた(要旨・第5節)
- 結論: 厳しい規制は規制の外に育つリスクの大きい機関を促す。会員だけの最後の貸し手(清算所)は非会員の危機を悪化させ、Knickerbocker への支援拒否が波及を招いた。救済は取り付けを止めても実体の収縮を防げなかった。取り付けは1907年11月に終わり、支払再開は1908年1月、景気の谷は6月(第7節)
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