NOMISMA SCHOLA
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Dispelling the Myth of the Naive Investor during the British Railway Mania, 1845–46

Gareth Campbell, John D. Turner — Business History Review 86(1)

この資料が支える主張

  1. 1843 年に議会への鉄道法案申請は 63 件、1844 年 199 件、1845 年末までにさらに 562 件。タイムズは 1845 年に 1,263 の新計画があったと推計し、その一覧に無い 335 社がさらに議会へ請願した(p.4, 注 11–12)
  2. 鉄道株指数(Railway Times の日次価格から算出、1844 年 1 月=1,000)は 1845 年 8 月 8 日に 1,984 で頂点、2 か月その近くに留まり、11 月末に 1,623、1850 年 4 月 19 日に 673 の底(p.4, Fig.1)
  3. 新会社の設立には前年 11 月に議会へ申請し、10% を払い込み資本の 75% を共同で引き受けた株主の氏名・住所・職業を載せた申込契約を添える。預託は熱狂の直前に 5% へ下げられ、熱狂の最中に 10% へ戻された。割当を受けた者は 10% の預託を払って持参人払いの仮株券を受け取り、会社が法人になれば以後の払込請求すべてに、それまでは会社の債務すべてに無限に責任を負った(pp.4–5, 注 13, 17)
  4. 議会は 1845 年 4 月に、1844 年 11 月までに提出された 209 の申込契約の全申込人(539 頁)を、1846 年 4 月に 1845 年 11 月までの 556 線の 2,000 ポンド以上の申込人(320 頁)を印刷した。ロンドン・アンド・ヨーク鉄道の名簿の調査では申込人 1,101 人のうち架空は 4 人だった(pp.6–7, 注 26–30)
  5. 職業別(Table 1): 聖職者と女性は資本の 1.2%、労働者階級は投資家の 1% 未満・資本の約 0.1%、専門職と事務職は投資家の約 10%・資本の約 6%。紳士・軍人・貴族が資本の 34.3%、商人が投資家の 21.7%・資本の 30.7%、製造業と小売が 8.2%、金融が 7.8%、法律家が 7.8%。下院議員の約 4 分の 1 が鉄道株に投資した。1845 年名簿は 24,844 人・8,320 万ポンド、1846 年名簿(2,000 ポンド超)は 12,533 人・1 億 2,140 万ポンド(pp.7–9, Table 1)
  6. 頂点近くで投資した 12,549 人のうち 3,248 人は上昇期にも投資しており、その 3,248 人が資本の 46.6% を出した(平均 5.7 社)。上位 4 パーセンタイルが資本の半分を出し、上位 1% の 342 人(商人 125 人・紳士 106 人を含む)が 31.3% を出した(p.9, Table 2)
  7. スコットランドの鉄道申込人の 30.6% は 1845 年のスコットランド銀行株主でもあり、その人々がスコットランドの鉄道資本の 43.9% を出した。シェフィールドの投資家 500 人のうち 90 人は地元銀行の株主で、資本の 24.4% を出した。GWR の 1843 年の株主 473 人(23.5%)が新鉄道に申し込んだ(pp.10–11)
  8. 資本の 60% 近くはランカシャー・ロンドン・ヨークシャーから来た。ロンドンは投資家の 20.7%・資本の 29.9%。投資の 34.7% は終点のある州に住む投資家によるもの(pp.12–13, Fig.2)
  9. 仮委員(2,058 人)は自ら推進した計画の資本の 18.5%、全計画の 32.4% を出し、既存鉄道の取締役は資本の 15.3% を出した(pp.13–14, Table 3)
  10. 初日の price/par 比率で測ると、女性と未経験者の投資は他より低く、商人と実業家は高い。取締役の投資はやや高いが会長と仮委員は他と変わらず、政治家の投資も他より良くない。地元の投資家と多数の計画に投資した者の成績が良い(pp.15–17, Table 4–5)
  11. GWR の株主名簿(1843・1845・1848 年): 総収益指数は 1843 年 2 月=1,000 から 1845 年 2 月 1,817 へ上がり、1848 年 2 月 1,102、3 月 979。1843 年に持ち 1848 年までに売った者を「勝者」、1843 年に持たず 1848 年に持っていた者を「敗者」とすると、女性と未経験者は敗者になりやすく、商人・実業家・ランカシャーの投資家は勝者になりやすかった。GWR は 1845 年に 8% の配当を払っていた(pp.17–20, Table 6–8)
  12. 著者の結論: 素朴な投資家が熱狂を動かしたとは言えず、経験ある投資家が資本の大部分を出した。内部者の投資は実業家や中産階級より良い成績ではなく、内部者が素人を収奪したという解釈と整合しない。なぜ多くの人が事後に見て割の悪い鉄道株に投資したかは開いた問いで、貯蓄の出口の不足・「バブルに乗る」・新技術の採用の確率・議会が 1845 年秋に計画を絞らなかった政治の失敗を候補に挙げる(pp.20–21)
  13. 1830 年リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業。1830 年代半ばに議会は 59 社・約 3,640 万ポンドを認可し、1843 年まで推進は途絶えた(p.4, 注 10)
  14. サッカレーの風刺詩「投機家たち」と当時の風刺紙は素朴で貧しい投資家の像を作り、未亡人と聖職者、中産階級の参加が語られた。マッケイは 1856 年版でこの事件を当時の歴史上で最大の金融の熱狂と呼んだ(pp.2–3, 注 1, 3–6)

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