銀の道
C06 — 人物の鎖

ポトシで掘られた銀が、マニラを経て、中国に着く。
監修: 葉山 満 / 本文の読了目安: 科目本文 約 8 分 + 教本 約 35 分 = 約 43 分 / 本文のほかに、演習 10 問・読む教材 11 停
この科目で、できるようになること
- 新大陸の銀が世界を回った経路を、三つの地点で言える。
- 銀を持っていた国が、なぜ豊かにならなかったかを説明できる。
- 鉱山の労働がどう調達されたかを説明できる。
- 「世界貿易の誕生」という表現に、どんな留保が要るかを判断できるようになる。
- ハミルトンの集計(登録銀一万六千八百八十六トン)の意味と限界を説明できる。
- 石見銀山とマニラ・ガレオンを、銀の道の東側の要所として語れる。
教本 — TEXTBOOK
レッスン(8節)
- 銀は、どこへ流れたか銀を持つことと使えることは違う。着く前に借りていれば、着いた銀は素通りする。
- 銀を掘ったのは、誰だったのか既存の制度は転用されやすい。名前が同じでも、中身と目的が変わっていることがある。
- 銀の道には、敵が群がる道が長いほど守る費用が増える。銀を守る出費が銀の額を超えることがある。
- 「世界貿易の誕生」に、どんな留保が要るか印象的な一文ほど、誰の説かを添える。それだけで安全に使える。
- 道を測った男 — ハミルトンの帳簿四百年後の経済史家が、セビリャの登録簿から銀の道の幅を測った。登録外は含まれない。
- 東の島の灰吹師 — 石見の銀世界の銀の三分の一とも言われた日本の銀。精錬技術の導入が、島を銀の道に接続した。
- 太平洋の帆 — マニラ・ガレオンの商人たちアカプルコからマニラへ。銀と絹の交換が、太平洋を一本の商いの道に変えた。
- 道の終わりに残るもの — 銀円から円へ銀の道の終点に銀はない。残ったのは、ドル・円・元という名前だった。
ケーススタディ — 教材で使う(11)
- 山は人を喰う スペイン 1573年 アンデス高地の村々
第2節。章題「山は人を喰う」ごと読んでください。掘った人の記録です - マニラ・ガレオン スペイン 1571年 マニラ
第4節。「世界貿易の誕生」という表現の出どころです - イタリア 総論・世界2700年 後 16世紀 ジェノヴァの金庫番
第1節。銀がジェノヴァへ流れる場面。剣より帳簿で戦う、という一節に注目 - アシエント スペイン 1556〜1557年 退位の広間
第1節。領土とともに債務が相続される場面です - 価格革命 スペイン 1503〜1660年 セビリャ、公式登録簿の書庫
第5節。四百年後の測量。数字と限界をセットで書く手本 - 銀の地球一周 総論・世界2700年 後 16世紀 石見銀山
第6節。世界の銀の三分の一「とも言われる」——留保ごと読む - メキシコ 総論・世界2700年 後 16–18世紀 太平洋を渡る銀
第7節。アジアでこそ最も愛された鷲の銀貨 - ユーロへ スペイン 現在 マドリード、太陽の門
第8節。ドル・円・元——名前の中の銀の道 - 税が銀になる 中国 16世紀後半 県の役所、税の帳簿
銀が中国へ向かった理由が、この停にあります。品目ごとに分かれていた税と労役を一本にまとめ銀で納めさせた一条鞭法が、一五三〇年の上申から全国に広まるまで五十年かかったことまで書かれています。 - パティオの魔法 メキシコ 1554年〜 アルマデン→ベラクルス
掘る側に何が足りなかったかの話です。パティオ法に要る水銀が王権の専売で、その届く量がそのまま産銀量の上限を決めていたこと、水銀一ポンドにつき銀一マルコという目安で王室が生産を測っていたことを見てください。 - 産地の無い国に、銀が足りた インド 16〜17世紀 近東と中央アジアの隊商
銀の道は太平洋だけではありません。近東と中央アジアの隊商を通る陸の道と、会社の船が運ぶ海の道の二つでインドへ届いたこと、そしてスペインが新大陸の銀の最大の受益者ではなくなったと歴史家が書いていることを見てください。
評価方法
科目内の演習 10 問(確認 7・比較 0・記述 3)。到達は自己評価で記録します。